福島原発被害東京訴訟・第10回期日のご報告

裁判所前の宣伝行動

<裁判所前の宣伝行動>

 

3月25日午前10時から、東京地裁103号法廷にて、福島原発被害東京訴訟・第10回期日が行われました。

法廷では、当方から損害論の総論に関する準備書面(27)を提出するとともに、原告13世帯分の陳述書(各原告世帯の被害実態を記載した文章)及びその他の関連証拠を提出しました。

一方、被告東電からは、中間指針や東電の立場からの避難者に対する賠償の考え方に関する共通準備書面(6)及び関連証拠が提出されました。

また、被告国からは責任論(シビアアクシデント対策)に関する第6準備書面が提出されました。

その後、原告(原告番号17-1さん)の意見陳述と、弁護団共同代表の中川素充弁護士の意見陳述が行われました。

以下で、原告の意見陳述を一部抜粋します。

「2011(平成23)年3月13日,福島原発が爆発した映像をみました。福島第一原発は,いわき市から30キロくらいのところにあります。いわき市からすぐそこにある原発が爆発しているということにショックを受けました。もういわき市に住んでいることが怖いと感じました。

家族で2台の車に分乗して,避難を始めました。親族や知人を頼って,茨城県日立市,東京都足立区へ避難しました。移動中の恐怖心や不安感は今も忘れることができません。長女の通う小学校が4月上旬に再開するということで仕方なくいったんいわき市へ戻りました。しかし、強い余震もあり,また原発が爆発するのではないか,その時は逃げられないのではないか、子どもたちを原発の近くにおいておくわけにはいかないという思いを消すことができず,仕事のある家族を残して,今度は私と子どもたちだけ避難するということになりました。」

「長男は,ダウン症で特別支援学校に通っていました。避難先を転々としている間は,転校先が決まらず,現在の住宅へ入居後,転校先を見つけることができました。避難してきた最初のころは,地震に敏感に反応して小さな地震でも怖がって泣くこともありました。避難生活になじめずいわきに帰りたいと訴えることもありました。避難生活の間に高等部を卒業したときも,いわきの友だちと一緒に卒業したかったと泣かれました。その後、区の就労支援施設で働くようになってからは,いわきに戻りたいとは言わなくなっています。

長女は,避難を始めた当時,小学1年生でした。避難してきてから鼻血を出すようになりました。最近は落ち着いていますが,突然,鼻水が垂れるように鼻の奥から血が流れてくるそうです。本人は慣れたもので,自分でティッシュを使って鼻血を止めるようになっています。

長女は,昨年4月に受けた甲状腺検査で膿胞があり「A2」と診断されました。また,扁桃腺肥大とも診断されており半年に一度の経過観察が続いています。

避難先の学校で友達はすぐにできたようですが,小学3,4年生のときには,朝,体調は悪くないのに学校に行きたくないと言うこともあり,学校を休むことも多くありました。いわきに帰りたいということもありました。」

「私たち夫婦の間には,2013年1月に二女と三女が双子で誕生しました。いわきでの生活では隣の家まで距離がありましたから,少々泣かれても気にすることはありませんでしたが,乳幼児を育てるなかで,壁一枚で隣の家がある共同住宅では子供の泣き声がどこまでも聞こえてしまうような気がして,物音をたてないように気を使うようにもなりストレスにもなっています。また、まだ小さいわが子を父親と一緒に生活させてあげられないことが申し訳なく、私自身夫のいない生活は気持ちの休まる余裕がなく、精神的につぶれそうになるときもあります。」

「私たちは,放射能の影響を避けたいから避難生活を始めました。夫は生活のためにいわき市に戻っていますが,本来であれば,家族全員が安心して暮らせるところで,家族そろって暮らしたいと思います。

夫が転職して東京で一緒に暮らすことを考えたこともありますが,転職すると収入が減ることになり,なかなか転職に踏み切ることもできません。

いまは,二重生活での避難生活か,放射能のリスクを覚悟して福島で家族そろって生活するかのどちらかを選ぶしかありません。」

「私がこの裁判の原告に加わったのは,原発事故について,きちんと責任を取り,謝ろうとしない東電や国の対応が許せないと思ったからです。特に,政府が決めた避難区域外から避難している者について,「自主避難」とか「好きで避難している」ように扱われることは納得できません。好きで家族バラバラに暮らす人がどこにますか。好きで子どもを泣かせる親がどこにいますか。私たちは避難したくて東京で生活しているのではありません。原発事故でたくさんの放射性物質がまき散らされた福島で子どもたちを生活させることは,子どもたちへの放射能の影響を考えると,とてもできることではないのです。本人が必要だと考えて避難しているのですから,避難することくらい認めてもらいたいと思います。」

 

原告の意見陳述が終わると傍聴席から自然に拍手が起きました。

法廷が終了すると、隣の弁護士会館で報告集会が行われ、弁護団から法廷の説明と、参加者からの発言がありました。

今後の予定は,
2015年 5月13日  10時~ 東京地裁103号法廷
2015年 7月15日  10時~ 東京地裁101号法廷
2015年 9月18日  10時~ 東京地裁101号法廷
2015年11月11日  10時~ 東京地裁103号法廷

です。傍聴をよろしくお願いします。

 

第10回期日報告集会

<法廷終了後の報告集会の様子>

 

 

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