月別アーカイブ: 2013年3月

原発事故子ども被災者支援法の問題点(1)〜支援対象地域について

原発事故子ども被災者支援法(以下「支援法」)が昨年成立しました。しかし,依然として基本方針すら定まっていません。そもそも,この支援法自体に問題点が内包されています。以下,当弁護団の共同代表である森川清弁護士に支援法の問題点について解説してもらいました。

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支援法の支援対象地域は、いつ定められるのだろうか?
また、定めた支援対象地域は、その後、簡単に変更・廃止されないのだろうか?
実は、支援法には、「支援対象地域」の定義は括弧書きで記載されているものの、支援対象地域を定める時期や手続や形式についての記載がありません。

そうすると、復興庁水野参事官が国会議員の皆さんに対し「法律をちゃんと読んでいただきたい。政府はこれこれにつき必要な措置を講ずる。何が必要かは政府が決めるんです。そういう法律になっているんです。」と述べたように、政府がなんらかの方法で支援対象地域を決めさえすればいいことになります。支援対象地域の廃止も同様です。不意打ち的な対応がとられることもありえます。(*1)

たとえば、支援対象地域を明文で「福島県内の全市町村及び政令で定めた市町村とする」「支援対象地域を政令で定めるための基準は、・・・のほか内閣府令で定める」などと規定しておけば、国会で法改正しない限り、「福島県内の全市町村」は支援対象地域で在り続けるわけです。また、政令や府省令を定めるにあたっては、行政手続法に基づくパブリックコメント制度(パブコメ)による意見を考慮しなければならないこととなっていますから、その他の地域を定めるにあたってパブコメによる意見提出の機会があり、不意打ちもしにくくなります。

意見の反映として、支援法14条に「国は、第八条から前条までの施策の適正な実施に資するため、当該施策の具体的な内容に被災者の意見を反映し、当該内容を定める過程を被災者にとって透明性の高いものとするために必要な措置を講ずるものとする。」と規定されていますが、意見反映のために何が必要かも政府が決める建付けになっていて、政令・府省令のようにパブコメが義務付けられているわけではありません。
また、厳密にいえば、支援対象地域の設定について何らの規定がないので、支援法14条の規定の対象となっていないともいえます。意見考慮の要請が強いはずのところに、全くそのようなものが明文で盛り込まれていないのです。

ですから、法律上は、容易に支援対象地域の廃止もできるわけです。
政令で定めた支援対象地域を廃止するには、政令・府省令の改正をしなければならなくなりますから、当然パブコメが義務付けられることとなります。
しかし、それがないわけですから、支援対象地域について、政府を法的に拘束するものはないので、政府が必要だと判断すればいいこととなります。
支援対象地域を定める時期や手続や形式について明文化することはとても大事です。今回の決定だけでなく、その後の改廃まで関わりますので、今からでも遅くありません。支援対象地域を定める時期や手続や形式を明文化すべきです。

*1 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1556
5分くらいのところで、引用の水野参事官の文言が登場します。

 

[この記事の短縮URL] http://wp.me/p3fgyo-2m

原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の不当な対応事例

原発賠償問題に関しては,迅速に解決することを目的に,2011年9月に原子力紛争解決センター(俗に「原発ADR」)が設置されたことはご存じかと思います。
しかし,設置当初から,裁定機能がないことや時効中断効がないことが問題点であることが指摘されました。このことについては,後日述べたいと思います。
また,迅速な解決を標榜していましたが,審理期間がかかっていることが指摘されています。

実際に,当弁護団において,昨年3月に紛争解決センターに申し立てた事例がありますが,その対応が極めて問題なので紹介します。
今回3月11日に提訴した原告の方のケースです。

[経過]
●2012年 3月27日 原子力損害賠償紛争解決センター申立
●2012年 4月27日 仲介委員,担当調査官が決まったとの通知
●その後,補充書面の提出と領収書などの提出し,東電からも書面が出ました。
●2012年10月頃   担当調査官の交代
●2012年10月24日 調査官から電話で連絡
その際のやりとりは,
 調査官「口頭審理は不要と考えている。文書で仲介案を出す。」
 弁護団「慰謝料その他争いがあるので、是非、本人から直接話を聞いてほしい。再考して欲しい。」
 調査官「仲介委員に伝えて検討する。」
(しばらくして電話かかってくる)
 調査官「やはり、口頭審理は不要と判断した。慰謝料が中間指針追補を超えると主張するのであれば書面で提出すること。」
 弁護団「納得できない。再考の余地はないのか?」
 調査官「決定事項である。」

●その後,補充書面提出を提出しました。

●2013年1月31日 電話連絡
・来月(明日)から担当調査官が交代する。
・ただ、新たな調査官の名前は知らない
・事件が多く、仲介案提示の処理が追いつかないので、もう少し待って欲しい。
・ただ、いつ提示できるかは明言できない。
というものでした。
●本日現在,未だに仲介案は出ていない。

つまり,1年以上の間,調査官が交代して3人目となり,期日も開こうとせず,判断すら出そうとしないというものです。一体,何のために作られたのかと憤りを感じます。

時効問題の本当の狙い!?について

原発事故から2年が経過します。最近では,「時効」ということが,話題になります。そこで,このことについて,若干解説をしたいと思います。

今年の2月4日,政府は,東京電力と原子力損害賠償支援機構(支援機構)が提出していた総合特別事業計画の変更を認定しました。この総合特別事業計画は,原子力損害賠償支援法46条1項にもとづくもので,要するに,東京電力が支援機構を通じて国から賠償金の支払い原資を補填してもらう際に,事業計画を提出するというものです。そして,今回の総合特別事業計画では,時効問題への対処が記載されていたようです。
東京電力は,同日付で,「原子力損害賠償債権の消滅時効に関する弊社の考え方について」というものを公表しました。
そこでは,
・予め時効を主張しないとこと(時効援用の放棄)は民法146条によりできない。
・消滅時効の起算点は,「中間指針等に基づき賠償請求の受付をそれぞれ開始した時」である。
・時効中断事由(要するに,時効の進行を最初からやり直すこと)は,「請求を促す各種のダイレクトメールや損害額を予め印字する等した請求書を受領した時点」である。
ということが述べられています。

果たして,そうなのでしょうか?
確かに,民法の不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の期間は3年とされています(原賠法の請求も,国家賠償法の請求も民法の規定によるので同じです。)。
しかし,民法724条では,「・・・損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅する。」となっています。つまり,「損害」と「加害者」を知ったときからなのです。そして,原発事故により,放射性物質は,環境中に拡散し,蓄積し続けており,将来にわたり残り続けていますし,除染も困難な状況です。直接の被ばくや汚染食品等の経口摂取等を通じて,健康に長期的な影響も懸念されています。また,長期の避難生活,避難せずに滞在する人・戻った人も放射能汚染を避けるために様々な制約(子どもの外遊びの自粛など)を長期間受け続けています。これらをはじめ様々な被害が進行しているのですから,「損害」は全体として把握されていません。したがって,「損害」を知ったとはいえないのであり,時効の期間は進行していないと考えるべきなのです。
となれば,今の時点で,時効は問題とならないはずです。
しかも,このような重大な事故を引き起こした国・東京電力が時効を援用すること自体が権利濫用と言うべきものです。

東京電力も,自分たちの考え方に対する反論・批判が出ることは,予想していたはずです。では,なぜ,このようなことを東京電力は言いだしたのでしょうか?
それは容易に想像ができることです。
<原発事故の被害者に対して,『時効』の可能性があることを伝える>
→<被害者が,心理的に動揺する。>
→<不安になり,もはや時間がないと考える。>
→<東京電力の定めた低額な賠償基準で妥協する。>
ということを期待しているからでしょう。

これまで,東京電力は,自らが加害者でありながら,一方的に賠償基準を定め,これを押しつけてきました(区域外避難者・滞在者に対しては,金額すら印字していました。)。通常の事件では到底あり得ないことです。それに加えて,損害賠償を消滅させる時効の起算点までをも自ら決めようとしています。不遜極まりないものであり,到底許されないものです。

私たち,被害者とともにたたかう法律家集団は,こうした東電の考え方が誤っており,不当であることを広く伝えていかなくてはならないと考えます。
また,このような東電による時効の誤った考えが出たことによる動揺・混乱を避け,原発事故の被害者をひとりでも切り捨てることのないようするためにも,原発事故による損害賠償については民法の時効規定を適用しないとする特別法の制定を求めていかなければならないと考えます。

司法修習生の学習会にて

3月22日(金)の夜,当弁護団の弁護士2名が66期司法修習生の7月集会実行委員会のメンバーの学習会に講師として参加しました。弁護団の共同代表の中川弁護士からは,原発賠償問題の現状と問題点,裁判を起こすことの意義(被害実態を明らかにし,国・東京電力の加害責任を認めさせ,生活再建のための完全賠償・原状回復のための施策を実現させること),3月11日の集団訴訟の意義・目的などについて話をしました。また,弁護団の深井弁護士からは,原発被害問題に取り組んだきっかけ・今の思い,「新人弁護士」としての1年間,現在取り組んでいること,弁護士としてのやりがいなどについて話をしました。

7月集会というのは,毎年,全国各地で修習をしている司法修習生(司法試験を合格し現在研修中の法律家の卵です。)が集まり(今年は京都),様々な社会問題について,全体会・分科会を通じて,自ら研鑽をしていく自主的企画です。今年は,『私たちを取り巻く社会問題を知り、当事者の立場に立って考え問題意識を発信し、共有しよう』を合い言葉としているとのこと。

そして,今年は,原発被害が全体会のテーマになるとのことです。

学習会には,東京だけでなく,福島などからも司法修習生が参加していました。参加していた司法修習生は,みんな熱心に講義を聴いている様子でした。司法修習を終えて,弁護士になる人は,是非,私たちの仲間として,一緒にこの原発被害の問題に取り組んでくれることを期待したいと思います。

修習生学習会20130322

原告さんからのメッセージ

3月11日の提訴に際して寄せられた原告2(-1)番さんのメッセージをご紹介します。

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私は,福島県いわき市からの避難者です。地元に夫を残し,幼い子ども2人を連れて東京都内で避難生活を送っています。そろそろこの避難生活も2年になります。

原発事故の後,こちらに来てからは,親戚の家や東京都内の避難所などを転々としてきました。当時避難所だった赤坂プリンスホテルに入った当初,東京都の公営住宅の応募は区域内からの避難者に限られており,私たち区域外避難者は応募することができませんでした。赤坂プリンスホテルは平成23年の6月末で閉鎖されると聞いていましたし,その後私たちは住むところもなくどうなってしまうのかととても不安でした。結局,私たち区域外避難者も遅れて東京都の公営住宅に入居することができるようになりましたが,あのときの不安な気持ちは今も忘れることができません。

これまでの避難生活の中で,一番辛いことは,夫も含めた家族4人で一緒に暮らすことができないことです。夫は仕事があるため,地元のいわきに残り,私たちとは離ればなれに生活しています。子どもが学芸会や運動会などで活躍する姿を夫に見せてあげることもできません。子どもたちにも,普段父親が近くにいないということで寂しい思いをさせてしまっています。夫は,平均すると1ヶ月に1回くらい,週末に自動車を運転してこちらまで会いに来てくれます。地元で1週間仕事をして疲れており,さらに自動車を運転してこちらまで来て,今度はとても元気いっぱいの子どもたちと遊びます。日曜日の夜にこちらで晩ご飯を食べてそれから運転していわきまで帰って行きます。大変疲れると思います。このような生活がいつまで続くのかと思うと,辛い気持ちでいっぱいになります。

いわき市は避難指示が出ていない安全なところなのに,何で避難生活をしているのかなどと言われることがあります。しかし,本当に安全だと言いきれるのでしょうか。政府による避難指示区域は,30キロというところで勝手な線引きをされてしまっていますが,放射能汚染が30キロでストップするわけではないのです。福島原発事故は未だに収束していないし,いわき市内でもいわゆるホットスポットと言われる放射線量の高い場所がたくさんあります。

そのような場所に,幼い子どもを帰すわけにはいきません。将来子どもたちの健康に影響が出たり,福島県民ということで,たとえば結婚などで差別されたりしないかと,とても心配です。

私たち区域外避難者は,区域内の避難者と比べて,いろいろな面で置き去りにされています。原発事故の被害者だとすら思ってもらえないこともあります。私が今回,この裁判の原告になることを決意したのは,自分が動くことによって,私たちのような区域外避難者の被害を世間の人々に理解してほしい,分かってもらいたいと思ったからです。また,事故直後から事故に関する正確な情報を公開せず,隠したりごまかしたりする国や東電の対応が許せないと思ったからです。危険なことは危険だとはっきり情報を公開してくれなければ,また同じような原発事故が起こります。これから先も私たちのような犠牲者が出るのはもうたくさんです。

一人一人ができることは小さなことかも知れません。しかし,声を上げなければ何も変わりません。幼い子どもたちのためにも,がんばって少しずつでも前に進んでいきたいと思います。皆さんどうかご支援をよろしくお願いします。

【集会報告と集会宣言】動き出そう!第2回3・20広域避難者集会 in 東京

3月20日,都内で「動き出そう!第2回3・20広域避難者集会 in 東京」が開催され,約40名ほどの被災者・避難者,支援者などが参加しました。当弁護団も共催です。

当日は,第一部シンポジウムとして,東京災害支援ネット(とすねっと)代表の森川清さんから被災者・避難者支援の政策に関する現状と課題について,きらきら星ネット共同代表の信木美穂さんから避難世帯の支援の現場報告について,当弁護団の共同代表の中川から原発賠償,特に訴訟についての報告がなされました。

続いて,第二部では,被災者・避難者のリレートークが行われ,多くの被災者・避難者が今置かれている状況の困難さ,将来への不安,苛立ちなど,心から訴えていました。参加者は,そうした声を,みんなで聞き入っていました。このリレートークの内容については,まとめた上で,政府に伝えていくことになります。

3.20集会

[写真は,集会の様子。上段右は,東京訴訟の原告の鴨下さん]

そして,さいごに,集会宣言が採択されました。以下,宣言をご紹介します。

集会宣言

  東京電力の福島原発事故から2年がたちました。
今も、福島県、栃木県などの幅広い地域が、放射能によって汚染され、その空間放射線量は高いままです。また、福島第1原発4号機などの使用済み核燃料プールも不安定で、停電や地震などをきっかけとして臨界事故が起きる可能性があります。
被ばくや事故の危険から逃れるため、15万人以上が全国各地に広域避難を続けています。しかし、避難者や放射能汚染地域の住民に対する公的な支援は十分では ありません。原発事故子ども・被災者支援法は昨年6月に成立しましたが、支援の前提となる基本方針の策定はストップしたまま。逆に、高速道路の有料化や、新しく避難する人に対する住宅の提供の打切りなど、支援の打切りが進んできました。
こうした状況の中、昨年の広域避難者集会では、区域外の 避難者・住民に対する高速道路の無料措置の継続を求める声が上がり、これをきっかけとして無料措置を求める動きが全国に広がりました。政府は、今月15 日、ついに一部の区域外避難者に対して無料措置を再開するとの発表を行いました。1年間にわたって署名活動、集会や申入れを行い、動き続けたことで、重い 扉が少し開いたのです。
原発事故が起きた責任は、政府と東京電力にあります。半恒久的な避難住宅の提供、国による健康・被ばく検査、医療費 の公費負担、避難先での住民並みサービスの拡大など、支援の扉はもっと大きく開かせなければなりません。東京電力の不十分で頑な賠償の姿勢も、裁判に追い 込むことで、改めさせなければなりません。十分な支援と賠償を実現させるためには、ひとりひとりが、政府やマスコミ・一般市民に対して働きかけを強めてい く必要があります。
きょうは、避難世帯の皆さんから、たくさんの声が上がりました、次は動き出す番です。来月には政府に要望書を提出します。黙っていては何も変わりません。みんなで一緒に、動き出しましょう!

平成25年3月20日
「動き出そう!第2回3・20広域避難者集会in東京」参加者一同

【本の紹介】3・11福島から東京へ~広域避難者たちと歩む

当弁護団の共同代表である弁護士森川清が代表をし,他の団員も参加しています東京災害支援ネット(とすねっと)が,「3・11福島から東京へ~広域避難者たちと歩む」(」(山吹書店1785円)を出しました。
朝日新聞の読書面,書評サイトにも登場しました。避難者を受け入れたはずの東京都の冷たい対応,原発事故を引き起こした東電や国の無責任さ,困難のなか必死に生活している避難者(被害者),暗中模索で悪戦苦闘しているボランティアなどなど,そして,今もさほど実態が変わっていないことが分かります。ぜひ,お読み下さい。

[主な内容]
3・11のあと福島から東京に避難してきた人びとは
着の身着のままでほとんど何も持たず
しかし,避難所に準備されていたのはパンと水だけだった。
さらにつづく避難区域指定による差別,二重生活の苦労,被曝の不安…
何とかしなくちゃ

〈とすねっと〉は
避難所に炊き出しを届け,情報を届け,相談活動やニーズ調査をおこない
国や東京都,東電への要請を繰り返し,集会を開催。
そして,避難者の当たり前の生活を取り戻すための
仮設住宅での生活支援子ども支援、癒しと楽しみのチャリティイベント。
明日は今日よりもよくなると思えるように
〈とすねっと〉の疾風怒涛の日々はつづく。

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