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福島原発被害東京訴訟第2陣訴訟・第5回口頭弁論期日のご報告

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去る9月4日(水)に、東京地方裁判所で、福島原発被害東京訴訟の第2陣訴訟の第5回口頭弁論期日が開催されました。

 

この日は、福島県の中通り地域(福島県伊達市)に住むある女性の原告が、法廷で意見陳述を行いました。

 

栃木県の伊達市は、避難指示区域外の地域ですが、実は、原発事故の放射線被ばくを相当程度受けている地域です。

 

しかしながら、実際には区域外ということで、ほとんど被害の救済がなされていない地域です。

 

福島原発被害東京訴訟は、この避難指示区域外の原告が中心となっている裁判です。

 

今回の裁判では、上記の原告は、福島県伊達市における被害について、克明に意見陳述を行いました。

 

以下で、その意見陳述の内容を以下で紹介します。

 

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私たち家族は、自然環境の豊かな所で⼦供たちをのびのびと育てようと思い、今住んでいる伊達市に、⼟地を買い、家を建てて、福島市から移り住みました。住宅ローンを払い続けるのは⼤変でしたが、暮らしは質素ながらも、楽しく暮らしていました。

 

家を建てて8年経った2011年3⽉11⽇、福島第1原発事故が起き、私たち家族の⽣活は⼀変してしまいました。私と夫は42歳、息子は小学5年生、娘は小学3年生でした。

 

当時、私は、原発についても放射性物質についても、知識がありませんでした。何の教育もされていませんでした。少しでも知識があったならば避けられた被曝もあったのではないかと思うと、とても無念でなりません。経済的余裕がなく、⼦どもたちの持病や実家の両親のことを考えると、全てを捨てて家を離れる判断はできませんでした。

 

3⽉11⽇からライフラインが全てストップしてしまい、給⽔所に⼦どもたちと⼀緒に歩いていったり、買い出しでは外にずっと並んだりして時には⾬に打たれました。数⽇経ってもトイレの⽔も流れないので、⽔道が⽌まっていない市役所にトイレを借りに家族で出かけたことがありました。その時、⽩い防御服を着た集団が市役所に⼊ってきたのを見ました。私は津波被害に遭った⽅々を助けに⾏くのだろうと思いました。でも、今思うと、私たちは、そういう防護服を着なくてはいけないような汚染の中で、何も危険を知らされずに過ごしていたのではないでしょうか。

 

そんな時期に⼩学校では卒業式が⾏われることになり、私たちは歩いて⼩学校に向かいました。正しい情報が出されない状況で、防げたはずの被曝をしたと思います。当時、私は、本当にに危ないなら国は助けてくれるだろうと信じていました。

 

あとで、原発事故直後の空間線量は毎時27マイクロシーベルト〜32マイクロシーベルト程度あったと聞きました。それなのに、外出制限も無かったということは⼤変問題です。

 

2011年6 ⽉に夫の実家で祖⺟の葬儀があり参列しました。親族なので、仕方なく、子どもも連れて⾏きました。夫の実家に⾏く道のりは⼤変線量が⾼く、⾞の中でも毎時1.5マイクロシーベルトを超える場所がありました。その道路は、線量が⾼くても騒がないようにと、地区の代表者から道沿いの住⺠は⾔われていたそうです。復興⾞両が通れなくなると困るからと聞きました。東北新幹線や東北⾃動⾞道も同じ理由で封鎖はできないという話も聞きました。

 

原発事故前の被曝限度を超えるレベルの空間線量なのにもかかわらず、放射線の危険性ではなく、安全性が周知されていました。被曝のリスクは私たちに伝えられませんでした。

 

2011年6⽉、息子が⿐⾎を⼤量にだしました。シーツが⾚く染まりました。市内の⼩学校で⿐⾎を出す児童が増えたということで、対処の仕⽅が学校の「保健だより」に載りました。

 

息⼦は、学校での⼼電図検査で異常が⾒られ、1⽇計器を体につけて測定したりして様⼦を⾒たこともありました。事故当時12歳だった息⼦はもともとアトピー性⽪膚炎を持っていましたが、事故後かなり悪化してしまい、⾼校1年⽣の春休みには⼊院しました。今でも、アトピーなのかよく分からない症状で苦しんでいます。

 

娘は、事故から1年経って右の⾜を痛がり、病院に⾏ったところ、⾻外⾻腫と診断され、次の年、切除⼿術を受けました。中学校1年⽣の冬から、娘は朝起きれない⽇が多くなりました。診断は起⽴性調節障害でした。体調を⼀番に考え、娘と話し合って週3⽇のフリースクールに通うことにしました。

 

夫の趣味は釣りでしたが、原発事故が起きて、海も川も⾏けなくなってしまいました。

 

わが家の庭では、原発事故前、花を植えたり家庭菜園をしたり、夏には⾃宅にテントを張って⼦供たちと外で寝たりバーベキューをしたりしていました。しかし、今では⼀切そういったことができなくなりました。

 

放射能にひどく汚染された今の環境では、細胞のDNAは深刻なダメージを受けます。すでに受けた被曝のリスクは、今後どこに移り住んでも消えません。⼤⼈よりも影響が大きい⼦どもが被曝したと考えると、胸が張り裂けそうになります。あまりにも、親として、⼤⼈として、不甲斐ないですし、悔しいです。

 

福島第1原発の現状も心配です。地震など⾃然災害のチェックをして、福島第1原発の状況を確認するのが私の⽇課になりました。危険がわかったら、今度こそは避難しようと考えたからです。いつでも⼦どもたちのそばに⾏けるように、ある程度⾃由が効く仕事を選びました。フルタイムでの仕事はできなくなり、⽣活は苦しいままでしたが、いつでも動けることを優先しました。いろいろ調べると、政府や⾏政の発表は現実とは違うと感じるようになりました。

 

汚染されている⽣活環境ではなにをするにも外を出ることも、買い物も、⾷べる時も、⽔を飲むことさえ、常に⾃分でアンテナを張って判断をしなければなりません。そんな”普通ではない⽣活“を普通にしないと、⽣きていけないのです。何をやっても、⼼の底から楽しいことが無くなりました。

 

⾃宅の近くの通学路に毎時10マイクロシーベルトを超える汚染があることがわかり、役所に伝えましたが、取り除いてもらえませんでした。理由は仮置き場がない、ということでした。そのままにしておけず、私は⾃分で汚染土を取り除き、⾃宅の庭に保管しました。

 

伊達市は独⾃の除染の方針を作り、2011年の末には年間5ミリシーベルトという基準を決めました。市内には特定避難勧奨地点もあるほど汚染がひどいのに、7割のエリアで⾯的除染をしないことにされました。

 

私は、少しでも早く汚染を封じ込めたいと思い、⾃ら⾃宅の庭などを除染しました。伊達市では、住⺠が⾃ら除染をするよう、推進していました。私も庭を⾃分で除染しました。汚染度は⼟囊袋144袋になりました。次の年もまた除染をしました。

 

平成24年9⽉までに除染して閉じ込めた汚染⼟は、2年間⾃宅庭に保管後、仮置き場に移動してもらいましたが、その後に除染して集めた汚染⼟は引き取ってもらえず今も庭にあります。なので、庭には⼊りたくありません。

 

⾃宅のカーポート前の汚染は、5年前で52万ベクレルにのぼり、毎時5マイクロシーベルトありましたが、それでも除染対象にはなりませんでした。除染対象地は宅地のみで、屋根も⾬樋も除染対象ではありません。汚染がある可能性がある天窓は開けられなくなりました。

 

伊達市は、全住⺠を対象に、健康管理と称し、個⼈線量計を配布しました。そして、内部被ばく検査を実施して、被曝のデータを集め、住⺠に許可なく、そのデータを外部の研究者に提供して、論⽂を書かせました。その論⽂は、不正に入手した個⼈情報をもとに分析したもので、データの改ざんも疑われるものでした。そもそも、⼤半の住⺠は、個⼈被ばく線量計をちゃんと装着せずに生活していたので、装着を前提に論文を書いても意味がないのです。このようなズサンなデータをもとに、論⽂は、空間線量が毎時0.6〜1マイクロシーベルト以上でも個⼈被曝線量は年間1ミリシーベルトにはならない、除染をしても効果はない、と決めつけてしまいました。これは、被曝を過⼩評価するものであり、住民にとっては⼈権侵害以外の何者でもありません。この問題は、今も追及を続けています。

 

同じ地区の⽅が⽩⾎病になられたり、今まであまり聞いたことのない胆管癌が何⼈も発症したりしています。事故前とは何か違うと思わざるをえません。

 

今も「原⼦⼒緊急事態宣⾔」が出されたままなのにもかかわらず、その異常事態が私たちの「⽇常」になっています。このまま、住⺠の⼈権を無視した「復興」が進められ、異常な⽣活が「普通」だということにされてしまいそうで、不安です。私たちの生活は、切り捨てられたままです。

 

この苦しみは、これからも続きます。

 

この裁判で、原発事故を引き起こした国と東京電力の責任の追及がなされることを望みます。

以上

 

【今後の裁判期日について】

福島原発被害東京訴訟では、今後下記のとおり裁判期日が予定されています。裁判終了後は、近くで報告集会も予定されています。

 

是非傍聴をお願いします。

 

第6回期日 2019年12月4日(水)午前10時30分~ 東京地方裁判所1階103号法廷

第7回期日 2020年3月4日(水)午前10時30分~ 東京地方裁判所1階103号法廷

 

▽問い合わせ先=〒160-0022 東京都新宿区新宿1-28-3 TSG御苑ビル3階
          オアシス法律事務所内 福島原発被害首都圏弁護団/
          電話 03-5363-0138 /FAX 03-5363-0139
メール shutokenbengodan@gmail.com
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福島原発被害東京訴訟第2陣訴訟・第5回期日のご案内

写真の説明はありません。

福島原発被害東京訴訟第2陣(3・4次訴訟)第5回期日(9月4日)の傍聴をお願いします。

★日時:2019年9月4日(水)10時30分開廷
★場所:東京地方裁判所103号法廷
(千代田区霞が関1-1-4 地下鉄霞が関駅A1出口すぐ)

※法廷では、原告ご本人1名(被ばくに関する論文不正問題に取り組んでいる伊達市の被害住民の方です。)と弁護団による意見陳述を予定しています(30分ほど)。

※傍聴券は不要です。裁判所に入る時に手荷物検査がありますので、開廷時刻の15分ほど前までに裁判所に来て手荷物検査を受けてください。

※期日に先駆けて、裁判所正門前では、9時30分ころから、原告らのスピーチが行われますので、是非、そちらにもご参加ください。

★原告団から
私たち東京訴訟は、皆さまの応援に支えられ、2018年3月の第1陣の判決では、晴れて国と東京電力を断罪する勝訴判決を得ることができました。しかし、その判決の中身は、私たちが納得できるものとはまだまだ遠く、特に損害については、私たちの想いが裁判所に届いていないことを思い知る内容でもありました。今後、ますます想いを強め、司法に、国民に広く訴えていきたいと思っております。
そんな中、東京地裁では、昨年7月から第2陣の審理が始まりました。第2陣の原告には、東京在住の避難者だけでなく、福島県内(田村市早稲川地区、中通り地域)の被害住民や、放射能汚染が深刻であるにもかかわらず全く賠償がなされていない栃木県北部(那須地域)の被害住民が共に加わっています。もうすぐ、あの原発事故から8年半が経ちます。私たち原告は、あの日どこにいたのか、どんな仕事をしていたのか、避難したのか、故郷にとどまったのか、それぞれ違いますが、国と東電に原発事故の責任をとらせる、その目標のためにこの裁判を共にたたかっています。
9月4日の期日には、多くの原告が参加します。どうか、傍聴で応援してください。

★報告集会:
時間:裁判終了後(11時ころ)に移動します。
会場:弁護士会館5階 508ABC会議室(裁判所東側日比谷公園寄りの建物)

★問い合わせ:福島原発被害首都圏弁護団(03-5362-0138 オアシス法律事務所内)