月別アーカイブ: 2014年5月

第6回期日(5月28日)及び報告会のご案内

国と東京電力に対し原発事故の責任を問う「福島原発被害東京訴訟」の第6回期日が5月28日午前10時から、東京地裁103号法廷で開かれます。母子避難のお母さん(原告)の意見陳述があります。1人でも多くの方の傍聴をお願いします。

福島原発被害東京訴訟
[第6回期日]
日時:5月28日(水) 午前10時~
場所:東京地方裁判所 103号法廷[東京都千代田区霞が関1-1-4]
原告及び弁護団からの意見陳述を行います。
☆9時30分より地裁前でチラシ配布・アピールなどいたします。こちらにもご参加ください。

[報告会]
日時:5月28日 裁判終了後(10:40頃)
場所:弁護士会館5階508ABC
当日の裁判の説明,これまでの経過報告とともに,今後の手続の流れや方針などについて,弁護団からご報告します。
☆報告会後、サポーターズ交流会も開催する予定です。

最寄り駅は、いずれも
地下鉄丸ノ内線,日比谷線,千代田線「霞ヶ関駅」(裁判所はA1出口そば)
または地下鉄有楽町線「桜田門駅」 です。

(その後の期日予定) 8/28(木)10時、10/29(水)10時

<お問い合わせ>
〒160-0022
東京都新宿区新宿1-11-12岩下ビル4階 オアシス法律事務所内 福島原発被害首都圏弁護団
電話 03-5363-0138
FAX 03-5363-0139
shutokenbengodan@gmail.com

福島原発被害東京訴訟・第5回期日報告

去る2014年3月26日午前10時から,東京地方裁判所103号法廷にて,第5回口頭弁論期日が開かれました。
冒頭に,原告番号12-2さんが意見陳述を行いました(意見陳述は,次頁以降に掲載しています)。母として,妻として,娘としての,家族への想いを語り,平穏な生活を取り戻したいという原告の方の訴えは,満員の傍聴席にいらっしゃった他の避難者の方にも共通するものだったと思います。
その後,弁護団中川素充弁護士による意見陳述も行われました。
原告からは,本件事故当時,国や東京電力は,それまでの津波対策では不充分であることを知りながら,抜本的な対策をとろうとしていなかったことを明らかにする書面(準備書面(10)),低線量被ばくの問題を指摘し,避難区域内外を問わず避難をすることに合理性があることについて総論を述べた書面(準備書面(11)),さらに,今日においても除染が十分に進められていない事実を指摘する書面(準備書面(12))を提出しました。

以下,原告番号12-2さんの意見陳述の一部をご紹介します。

「夫はやりがいのある仕事を頑張っていて,母は日中可愛い孫の面倒を見て,夜は友人と趣味のカラオケや温泉に出かける,そんな日課でした。裕福な暮らしではないです。でも,そんな家族で助け合った暮らしが,私たちの幸せでした。
休みの日は,家族で買い物に行ったり,おなじみになったお気に入りのお店の美味しいランチを食べに行ったり,神社のお祭りや七夕祭り,花火大会が大好きで毎年一緒に出かけていました。平凡な毎日ですが,とても幸せな毎日を送っていました。私は,故郷でのそんな暮らしが大好きでした。
自宅は一軒家でした。よく夫の仕事仲間やお友達が遊びに来てくれました。親戚兄弟もお盆やお正月休みには,毎年泊まりがけで来てくれました。でも,私たちが東京に避難してきて,遠く離れてしまった今では,ほとんど会うこともなくなってしまいました。とても寂しい事です。」

「東京へ来てからは,慣れない生活が続き,家族がバラバラになってしまいました。母は,持病があります。いつもの慣れた病院へ通院したい,東京にはお友達が居ない,とても寂しかったと思います。そして,原発事故の次の年,一人でいわきへ戻りました。
母にとっては,可愛い孫と娘夫婦に囲まれ,自分の趣味に使う予定だったこれからの人生でしたが,今では一人でテレビを見る時間が増えたそうです。毎月,孫の顔を見るために,高速バスに乗って会いに来てくれますが,その途中,倒れた事もありました。そんな母が心配でなりません。できることなら,一緒に暮らしたいと思っています。
夫は,東京に避難したことで,仕事のお仲間から非難されてしまいました。つらかったと思います。夫は,娘や私たちのためにとても苦しい決断をしたのです。
私達は,生活の為に慣れない土地でも働かなくてはなりません。でも,東京での仕事でも,避難者だっていうことだけで,傷を受けました。そんな中で,もともとは丈夫なはずの夫が,仕事中に救急車で運ばれ入院した事もありました。原因はストレスと過労と言われました。私自身も体調を崩す事が多くなったように思います。どこに行っても知った顔に囲まれ,安心したいわきでの生活から,どこへ行っても,見知らぬ人ばかりの東京の生活。人との関わりがわからなくなり,人と接する事が怖くて,人と会うこと,人と話すことが嫌になってしまいました。
私達は,東京へ来たくて来た訳ではありません。原発事故がなかったら,今でもいわきで家族4人楽しく暮らせていたと思います。故郷で,みんなで楽しく穏やかに暮らす,そんな生活を取り戻したいです。事故が起きる前の暮らしを返してほしいです。」