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結審期日の意見陳述~その4

去る10月25日に行われた福島原発被害東京訴訟の結審期日。原告2名と弁護団3名の意見陳述が行われました。今回は、吉田悌一郎弁護士による、損害論に関する意見陳述(特に、区域外避難者の受ける被害について)をご紹介します。

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1 本件訴訟の原告は、そのほとんどが、いわゆる政府による避難指示を受けなかった地域からの避難者、つまり区域外避難者である。本件訴訟においては、いわゆる原告番号制がとられ、ほとんどの原告は、自分の名前を出して被害を訴えることができない。この被害者が「声を出せない」ということが、区域外避難者の被害の最大の本質的な特徴である。
被害者が声を上げることができない最大の理由は、被告国や被告東電が、避難指示の内外で被害者の線引きを行い、区域外避難者の被害の切り捨てを行ってきたことにある。そのため、区域外避難者は、避難指示区域内からの避難者とは異なり、これまで被告東電からほとんど賠償金の支払いを受けることがなかった。だから、区域外避難者は、避難生活を続けること自体に大きな経済的困難が伴っている。
しかし、それだけではない。被告らによる区域外避難者に対する線引き政策のために、区域外避難者は一般的に「自主避難者」などと呼ばれ、「政府が避難を指示していないにもかかわらず、勝手に逃げた人」などといった間違ったイメージを徹底的に植え付けられた。その結果、世間の心ない人たちから、たとえばインターネット上で「税金泥棒」とか「エセ避難者」などと言われ、理不尽な誹謗中傷を受けることがある。その結果、多くの区域外避難者は、自分が原発事故の被害者なのだと公言することを躊躇し、声を閉ざしてしまうのである。
2 これまで、本件と同様に区域外避難者の被害が争点として争われた主な判決として、特に今年に入ってから、3月の前橋地裁判決、9月の千葉地裁判決、そして先の10月10日の福島地裁判決がある。しかし、残念ながら、これらの判決はいずれも、一定の範囲で区域外避難者の合理性を認めたものの、その被害をきちんと正面から受け止めたものとは言えず、区域外避難者の救済という観点からは極めて冷淡な判決となっている。特に、9月22日の千葉地裁判決は、区域外避難者の損害に関する冒頭の部分で、「避難指示等によらずに避難をした人々は、避難前の居住地から避難を余儀なくされたわけではなく、居住・転居の自由を侵害されたという要素はない」と断言している。これは、区域外避難者の被害というものに対して、大変な無知・無理解に基づくものであり、その点では、極めて不当な判決であると言わざるを得ない。
3 この千葉の判決が言うように、区域外避難者は、本当に避難を余儀なくされたとは言えないのだろうか。原告らは今回、福島の避難元(政府による避難指示区域外)の自宅の庭やその周辺などの、土壌の放射能汚染の調査を丹念に行った。その結果、調査を行った原告に関わるほぼすべての場所について、いわゆる放射線管理区域の指定基準となる1平方メートルあたり4万ベクレルを超える放射能が計測された。4万ベクレルどころか、10万ベクレルを超える場所も決して珍しくはなかった。放射線管理区域は、厳重に人の立ち入りや飲食などが制限される場所であり、放射線防護のための厳重な管理が施される区域である。つまり、原告らの避難元の自宅敷地などは、この放射線管理区域の内部と同等以上に放射性セシウムによって汚染されているのである。
このような場所は、本当に安全なのか。このような場所に、原告たちは帰るべきだと、避難を続ける必要はないと、言い切れるのだろうか。このような土壌汚染が深刻な場所で、たとえば庭の手入れをしたり、子どもが庭で土いじりをして遊んだりすれば、チリやホコリなどを吸い込むことで内部被ばくしてしまう危険性もある。このような危険な場所からは避難したいとか、せめて子どもだけは遠ざけたいと思うのは、極めて合理的な感覚なのではないだろうか。
4 区域外避難者は、何も好き好んで長年避難生活を送っているわけではない。区域外避難者に対しては、被告東電から賠償金がほとんど支払われていないこともあり、多くの区域外避難者は、生計維持者である夫が避難元に残り、母子のみで避難生活を送っているケースも少なくない。特に子どもの被ばくなどを避けるために、やむにやまれず家族がバラバラの避難生活を余儀なくされているのである。
ある母子避難の原告は、4歳の息子さんが支援者から500円のお小遣いをもらったときに、その4歳の子どもはそのお金を持って真っ先にお母さんの所に来て、「ねえ、お母さん、このお金、お父さんにあげて。このお金があるからお父さんに仕事辞めてもらって、みんなで一緒に暮らそうよ。」と言った。4歳の子どものこの言葉を聞いたときが一番辛かったと母親は言っている。
得てして、一番弱い立場にある子どもなどに、より大きな被害が及ぶことも多い。昨年から今年にかけて、原発事故の避難世帯の子どもが、避難先の学校でいじめに遭うというケースが相次いで報道されている。たとえば、本件原告世帯の中にも、子どもが学校で同級生から「お前、福島から来たんだってな。福島から来た子は白血病になってすぐ死んじゃうらしいじゃないか。」と言われ、それを聞いていた学校の先生が、何と「そうね。中学生ぐらいになって死んじゃうんじゃないかしら。」などと言った。それがきっかけで、その子は学校でいじめの対象になった。「どうせ死んじゃうなら今死んでも同じだろ」などと言われ、学校の階段から突き落とされたこともあった。その子が中学生になってからは、同級生から「避難者は貧乏だよな。貧乏。貧乏。」と言われ、「そんなことないよ。普通だよ。」というと、「貧乏じゃないならおごれよ。」などと言われ、同級生からお金を脅し取られたということがあった。
区域外避難者が原発事故の被害者としてきちんと世の中に認知されていないために、その子どもたちが避難先の学校で悪質ないじめを受けるということにもつながっている。最近では、子どもが学校でいじめられるのを防ぐために、学校で自分たちが福島からの避難者であることを隠しているという話もよく聞かれる。
5 このように、区域外避難者たちは、被ばくの不安のある避難元に帰ることはできず、そうかといって、避難生活を続けることについての支援はほとんどなく、世間の理解もなく、まさに孤立無援の状態に置かれている。この法廷でも証言していただいた、早稲田大学人間科学学術院教授で精神科医の辻内琢也氏は、このように社会から棄てられ、ネグレクトされ、社会的孤立に追い込まれている状態を「社会的虐待」と表現している。
この裁判は、こうした区域外避難者たちの被害をどのように把握し、受け止め、これまで切り捨てられてきた区域外避難者をどのように救済するかということが、正面から問われている。
被告国は、これまで長年にわたって電力会社と二人三脚で国策として原発を推進してきた。また、今回原発事故を起こした被告東電も、これまで原発を自らの利潤追求の手段として利用し、莫大な利益を上げてきた。
この裁判では、今回の原発事故の加害者である被告東電と被告国の加害責任を明確にした上で、まさに「社会的虐待」といった状態に追い込まれている区域外避難者に対し、適切な被害救済を行うことが、いわば司法の使命として求められている。間違っても、「声を出せない」被害者たちに、泣き寝入りを強いることがあってはならないのである。

以上

結審期日の意見陳述~その3

去る10月25日に行われた福島原発被害東京訴訟の結審期日。原告2名と弁護団3名の意見陳述が行われました。3番目は、平松真二郎弁護士による、被告国と被告東電の法的責任論(本件原発事故を起こした過失責任)に関する意見陳述をご紹介します。

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1 福島第一原発事故は,被告国と被告東京電力が,一体となって,地域住民の平穏な生活よりも,原子力事業者の経済的利益を優先させ,「安全神話」を喧伝する一方で事故の隠ぺいを繰り返しながら,原発を積極的に推進してきたがために引き起こされた人災にほかなりません。
そして,被告らは,日々蓄積されてきた津波を引き金とする過酷事故の知見にもかかわらず,津波対策に要するコストという経済的利益を優先させて,あえて知見が示す過酷事故の危険性から目を背け続けてきました。このような過酷事故のリスクを示す知見を意図的に無視してきた被告らの故意にも匹敵する重大な過失によって引き起こされた本件原発事故は,史上最悪の公害事件です。
私からは,被告らが,本件原発事故を引き起こした法的責任を負っていることについて述べます。

2 我が国に原子力発電が導入された当時,原子力発電は研究開発途上の未成熟な技術でした。また,原子力発電施設を建設し,維持運営し,廃棄するために巨額のコストを要することから原子力発電事業が利益を生むものであるか不確実なものでもありました。さらに,ひとたび原発事故が発生した場合の損失が甚大であって損害保険が成立しない経済合理性を欠く巨大技術でありました。にもかかわらず,被告国は,積極的に原発の導入を押し進めてきました。
原発導入のために,本来,原子力事業者が負担すべき放射性廃棄物の処理コスト,事故に対する損害賠償リスク,反対運動に対する立地上のコスト等,原発の設置運営に不可避的に伴う各種のコスト・リスクを国が肩代わりして負担するなど,国策として民営の原子力事業者に担わせる体制のもと,被告国と被告東電を含む原子力事業者が不可分一体となって原発を推し進めてきました。
原発を推進するためには,広島・長崎,そしてビキニという被ばく体験のある我が国においては,原発の安全性を喧伝することが必要となり,本,映画,テレビ番組,雑誌,ビデオなどの視聴覚資材が活用され,被告らが一体となって「安全神話」を定着させるための宣伝を続けてきました。

3 被告らが「安全神話」を振りまくその陰では,事故が続出していました。被告東京電力を含む原子力事業者は,まさに「安全神話」が「神話」であることが露見しないよう「事故隠し」を続けてきました。
被告東京電力でも事故隠しが頻発し,その隠ぺい体質はこれまで何度も指弾されてきました。福島第一原発でも,原子炉格納容器の検査結果の虚偽記載を隠ぺいしたことで1年間の運転停止の処分を受けています。
国内外で,原発事故が続発し,事故隠しの発覚も相次いだにもかかわらず,被告らにおいて,充分な事実解明・原因究明がなされることもなく,再発防止策も講じられることもなく,事故の責任が明確化されることもなく,次の事故を防ぐための教訓としていかされることもないまま,被告らは一体となって原発を推進し続けてきました。

4 被告らは,本訴訟において,要するに,想定外の津波が襲来したから本件事故が起こったのだ,津波対策をしていたとしても本件事故を回避することはできなかったのだと主張しています。
「安全神話」を振りまく中で,万が一にも事故を起こさないよう事故のリスクの徴候をとらえて安全対策を行うべき立場の被告らがあえて事故リスクの徴候を無視し続けてきたことを覆い隠し,法的責任を免れようとする見苦しい弁解と断ぜざるを得ません。また,被告らによる原発推進が極めて無責任な体制の下で進められてきたものであることを被告ら自ら自白したものというほかありません。

5 敷地及び建屋への浸水が全電源喪失事故をもたらすことは1990年代から明らかでした。福島第一原発でも,1991年,原発施設内部の配管からの海水漏えいにより,1・2号機共用非常用ディーゼル発電機が機能停止するという溢水事故がありました。本件事故当時福島第一原発の所長であった吉田昌郎氏は,政府事故調の聴取に際して,1991年事故について,「あの溢水を誰が想定していたんですか。あれで冷却系統はほとんど死んでしまって,DGも水に浸かって,動かなかったんです。……ものすごく水の怖さがわかりましたから,例えば,溢水対策だとかは,まだやるところがあるなという感じはしていました」と述べています。
しかしながら,溢水対策は不十分なまま放置され,この事故から得られた教訓が生かされることはありませんでした。
その後,国外の原発事故を通じて浸水に対する電気設備,冷却設備の脆弱性に関する情報が集積していました。被告国及び被告東電を含む原子力事業者は,2006年,共同して「溢水勉強会」を開催し,津波によって非常用海水ポンプが機能を喪失し炉心損傷に至る危険性や敷地高さを超える津波によって建屋へ浸水すると全交流電源喪失に至る危険性があるとの認識を共有するに至っていました。

6 1993年7月に発生した北海道南西沖地震に伴う奥尻島の津波被害を契機として,地震津波防災のために,地震・津波の想定を,従来の「既往最大」に限定するのではなく「現在の知見に基づいて想定し得る最大地震」をも想定に取り入れることが求められるようになりました。そして,1999(平成11)年3月,国土庁(当時)は,「現実に発生する可能性が高く,その海岸に最も大きな浸水被害をもたらすと考えらえる地震を想定」して,福島第一原発の立地点においては,海岸部で最大8mの津波高さが想定され,福島第一原発の敷地上に遡上した津波によって2~5mの浸水深をもたらすという津波浸水予測図を公表しました。
この予測を知った被告らは,意思を通じて,原子炉施設の津波に対する安全規制・津波防護措置の実施しないことを決め,被告国は規制権限行使を懈怠し,被告東電は津波防護対策を先送りしてきました。

7 さらに,1995年1月の阪神淡路大震災をきっかけに起こりうる地震の長期予測が行われ,2002(平成14)年7月に公表された三陸沖北部から房総沖までの日本海溝沿いの「長期評価」では,どこでも巨大な津波を引き起こす津波地震が発生し得ること,明治三陸地震と同程度のM8クラスの津波地震が発生する確率が今後30年間で20%とされていました。
被告東京電力は,2008(平成20)年4月になって,「長期評価」が示した明治三陸地震の波源モデルを福島県沖の日本海溝寄りに設定し,「津波評価技術」の手法を用いて津波浸水予測の計算を行いました。その試算では福島第一原発の敷地南側で津波高さがO.P.+15.7mとなり,1~4号機立地点では敷地上の浸水深が1~2.6m程度に達するとの推計結果が示されました。
これは2008年に行われた推計ですが,「長期評価」及び「津波評価技術」が公表された2002年当時に行うことが可能でした。被告国側の証人として千葉地方裁判所で証言した佐竹健治氏も「波源を福島県沖に設定して,計算をすることは可能」であって「数値自体は信頼できるもの……それなりの精度を持っている」と証言しており,推計が2002年当時に可能であったことを認めています。
被告らは敷地高さを超える津波は想定外であると強弁していますが,「長期評価」が公表された2002年7月以降,推計に要する時間を見積もっても2002年中には,福島第一原発の立地点において敷地高さ(O.P.+10m)を超える津波が襲来するおそれがあることが予見できたのです。

8 2002年には福島第一原発に敷地高さを超える津波が襲来することを予見することができ,2006年には溢水勉強会を通じて津波による浸水が全電源喪失による過酷事故をもたらすことも認識していたのですから,原発の安全規制を担当する経産大臣は,万が一にも原発事故を起こすことがないよう権限を行使すべき義務を負っていました。経産大臣が法令に基づいて,津波による全電源喪失,冷却機能喪失による過酷事故に至らないよう求める安全規制をしていれば,被告東京電力が,全電源喪失対策として,①直流バッテリーの準備など直流電源を確保する方策,②可搬式交流発電機の準備など交流電源を確保する方策,③電源車の準備など高圧交流電源を確保する方策,④RHRS代替用の水中ポンプの準備など最終排熱系を確保する方策を行い,さらに全電源喪失状態を想定した訓練を行っていれば,本件事故に際しても原子炉を冷温停止に至らせることができたと考えられることは本法廷で実施された吉岡律夫証言によって明らかになっています。
被告らは,吉岡証人らが示している措置では本件事故結果を回避することはできなかったと主張しています。被告東電において,本件事故直後,福島原子力事故からの教訓に基づく直接的な津波対策を公表していますが,そこでは「すべての電源を喪失した場合の代替手段が十分整備されておらず,その場で考えながら対応せざるを得なかった」ことを教訓として挙げ,「電源供給手段の強化」「発電機車,電源車の配備,緊急用高圧配電盤設置」「蓄電池増強」を津波による全電源喪失対策として掲げられています。これらは吉岡律夫証人が指摘した具体的な全電源喪失対策に重なるものです。被告東京電力が本件事故から得られた教訓として挙げられていることからしても,吉岡証人が指摘した措置を講じることは技術的に十分可能であって,本件事故結果を回避するために有効であったことを裏付けるものです。
なお,本当に被告らが主張するように全電源喪失対策を施していても本件事故結果を回避できなかったとすれば,もっとも有効な事故結果回避措置は原子炉を停止させておくことだったことになります。安全を確保することができない原発を稼働させておくことは無責任の極みであって被告らの主張は自ら負っている原発の安全性に対する責任を放棄した無責任な弁解というほかありません。

9 本件原発事故による被害の深刻さにかんがみると,敷地を超える津波を予見できた2002年,遅くとも津波による浸水が全電源喪失事故を引き起こすことを認識した2006年までに,被告国が津波対策をとるよう規制権限を適時かつ適切に行使していれば,本件原発事故を防ぐことができました。このような被告国の規制権限行使の懈怠は,著しく不合理なものであって,国家賠償法1条1項の適用上,違法として賠償責任を負うことになります。
そして,被告国と被告東電は意思を通じて,被告国は津波に対する安全規制を懈怠し,被告東電が津波防護対策をとらないまま原子炉の運転を継続することを容認してきたのですから,両者の行為は不可分一体のものであって,被告国の主体的責任が問われるべきであって,被告国の責任が事業者に次ぐ2次的補充的なものにとどまるものではありません。

10 先ほど述べた通り,被告東京電力は,2008年4月には,最大O.P.+15.7mの津波が福島第一原発の敷地に襲来するとの推計をしており,同年6月頃には,敷地上に防潮堤を設置する必要が指摘されるに至っていました。
しかしながら,被告東電は,2008年夏,防潮堤の設置には数百億円規模の費用がかかることを理由に,会社の方針として,試算結果を無視して津波対策をとらないことを決めました。その結果,被告東電は,2011(平成23)年3月に本件事故に至るまでの間,3年の間,何らの津波対策もとることはありませんでした。
すなわち,本件事故は,被告東京電力が津波の予見を意図的に無視してきた故意にも匹敵する重大な過失により引き起こされたものなのです。

11 本件事故は,想定外の津波によって引き起こされてしまった不可抗力による事故などではありません。
本訴訟において,被告国は,原発施設の安全性につき,万が一にも事故が生じないように,適時にかつ適切に規制権限を行使しなければならない義務がありました。被告東京電力は,万が一にも原発事故が発生しないように積極的に対策を施すべき高度の注意義務を負っていました。にもかかわらず,被告国と被告東京電力はいずれもその義務をあえて怠り,本件原発事故を引き起こしたのですから,被告らが法的責任を負うことは明らかです。
そして,被告らの注意義務違反の悪質性も踏まえたうえで,本件事故の被害者に生じている甚大な被害の回復が図られるべく,公正な判決が下されることを確信して私の意見陳述といたします。

以上

結審期日の意見陳述~その2

去る10月25日に行われた福島原発被害東京訴訟の結審期日。原告2名と弁護団3名の意見陳述が行われました。2番目は、福島県いわき市から子どもを連れて東京で避難生活を送っている母親の原告の陳述です。以下、その内容を公開します。

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1 2013年3月11日に、私は、この裁判の第1次原告の1人として参加しました。それから約4年半、他の原告とともに、私たちは今日までこの裁判をたたかってきました。今日は、この裁判の最後に、もう1度意見を述べたいと思います。

 

2 この裁判が始まってちょうど半年後の2013年9月11日に、私はこの裁判の法廷に立って同じように意見陳述をしました。実はその頃は、子どもが学校を不登校になり始めた時期でした。私にとっても大変に辛い時期でした。子どもは頭痛などで学校に行くことができず、いくつも病院にかかり、お薬も処方されましたが、状況は改善せず、原因も分かりませんでした。私は、近くに相談できる相手もいないし、毎日1人で悩み続けました。どうして子どもが学校に行けなくなったのか、私が夫と離れて子どもたちを連れて東京に避難していることがいけなかったのかと、自分を責めたこともありました。やりきれない気持ちを紛らわすために、お酒も飲むようになりました。

後になって分かったことですが、子どもが不登校になった直接の原因は、学校の同級生の男の子数人から、「放射能バンバンバン」と言われていじめられたことでした。しかし、子どもは、自分が学校でいじめに遭ったことをなかなか私に打ち明けてくれませんでした。それは、幼い子どもながら、母親である私が放射能を避けるために避難しているのを知っていますので、子どもは私に気を遣って、放射能と言われていじめられたことを言い出せなかったのだと思います。こんな当時の幼い子どもの気持ちを思うと、今でもとても辛い気持ちになります。

 

3 最近、子どもの通う学校の社会科の授業で、広島・長崎の被爆者と、福島原発事故の問題が取り上げられたそうです。そこで、ある生徒が、「福島で原発の事故に遭った人たちは、ドンマイだよね。」と発言したそうです。「ドンマイだよね」という言葉は、軽く「残念だね」というような意味のようです。この発言をした生徒は、うちの子どもが福島から避難してきていることを知りませんし、悪気があったわけでもないと思います。しかし、子どもはこの生徒の発言にとてもがっかりしていました。広島や長崎の被爆者に対しては、誰も「ドンマイだよね」とか、軽く「残念だね」などと言う人はいないと思います。

私たちのような福島原発事故の被害者がとても軽く扱われている、忘れ去られようとしていることに、どうしても納得が行かないようです。原発事故の加害者である東京電力や国が、いつまでも責任逃れをしているために、世の中の人に正しい情報がきちんと伝わっていない、そして、そのために、私たち被害者がいまだに嫌な思いをさせられているのです。

 

4 私たちの避難元の自宅は、福島第一原発からわずか34キロのところにあります。自宅の敷地は、今年の6月に土壌の放射性物質の測定を行ったところ、1平方メートルあたり50万ベクレルを超える地点が2箇所もあったそうです。とても子どもたちを連れて避難元の自宅に帰ることはできません。

このように、放射性物質によって汚染されてしまった地域で、私の夫はこれまで6年以上も、私と子どもたちを守るために、私たち家族と離れてじっと我慢して暮らしてきました。私たちは、これからも、家族が離れ離れの生活を続けなければなりません。

しかし、被告である国や東京電力は、原発から30キロの圏内にあるかどうかで線引きをして、私たち区域外避難者を切り捨てようとしています。区域外避難者は、ほとんど補償や賠償を受けられず、経済的にも、避難生活を続けることはとても大変です。区域で線引きをされているために、私たちは世間からも「自主避難者」などと言われ、危険もないのに自分で勝手に避難した人などいうように、間違ったイメージを持たれてしまっています。そのために、私たちは、子どもが学校でいじめに遭うなど、嫌な思いをたくさんしてきました。

しかし、30キロ圏外であれば、放射能の影響がなくなるわけではありません。政府の勝手な線引きによって、私たちの被害が切り捨てられ、世間から見捨てられることはとても納得できることではありません。

 

5 正直に言うと、私は、4年半前にこの裁判を起こすときに、裁判の原告として参加することにはあまり気が進みませんでした。それまでの人生で、裁判などしたことはありませんでしたし、裁判となれば時間がかかって、精神的にも相当の負担になります。また、裁判を起こしたことが世間の人に知られれば、嫌がらせをされたりする危険もあります。

しかし、私たち被害者が声を上げなければ、世間の人たちに私たちの被害を知ってもらうこともできません。私たちの受けている被害や私たちの辛い思いが切り捨てられてしまう、世間から無いことにされてしまうことはどうしても納得できない、そんな思いから、勇気を振り絞って原告になることを決意したのです。

裁判官の皆さまには、国や東電に対して、正しい判決をお願いしたいと思います。原発事故の被害に遭った私たちが納得できる公平な判決を是非お願いしたいと心から願っています。

どうもありがとうございました。

 

結審期日における意見陳述~その1

去る10月25日に行われた福島原発被害東京訴訟の結審期日。原告2名と弁護団3名の意見陳述が行われました。意見陳述のトップバッターは中学生の原告でした。以下で、その意見陳述書を公開します。

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1 いわきでの生活
僕は、福島県いわき市で生まれ、両親と、5歳離れた弟と共に生活していました。
当時は、春になればテレビで何度も紹介されるくらい桜並木の有名な「夜の森公園」でお花見をし、夏は潮干狩りに行き、秋はきのこ狩りをして、冬は雪だるまを作る。公園や学校の帰りの通学路でツクシをたくさん採って帰って、お母さんに作ってもらうツクシの佃煮が好きでした。家も庭も広く、ブルーベリーやしいたけ、プチトマト等は庭で収穫できました。学校では友達と昆虫を見つけたり、泥団子を作ったりして遊んでいました。

2 事故が起きた後の生活
しかし、2011年3月11日を境に、このような生活は全てなくなってしまいました。夜の森公園は今も帰還困難区域だし、放射能だらけの泥で泥団子は作れません。
しかし、何よりも一番つらかったのが、転校先でのいじめです。
図工の時間に作った作品に悪口を書かれていたり、菌扱いされたりしてきました。そのようなことが続き、できることなら死んでしまいたいといつも思うようになりました。小学校の3年生か4年生のときには、七夕の短冊に「天国に行きたい」と書いたこともありました。
たぶん、避難者についてよく知らされていない人の目には、福島から来た避難者は家が壊れていないのだから何も被害はなかったのに多額の賠償金だけもらって、しかも東京の避難所にただで住んでいる「ずるい人たち」とうつるのでしょう。本当は、東京電力や国が、放射能汚染の恐ろしさや僕たち家族のような区域外避難者にはほとんど賠償金を払っていないことなど、正しい情報をみんなに伝えてくれていれば、こんな勘違いは起きなかったと思います。
実際、中学生になって今までの学校と全く関係のない学校に進学して、ずっと自分が避難者ということを隠していますが、いじめは起きていません。

3 大人に責任をとってほしいこと
原発によって儲かったのは大人、原発を作ったのも大人だし、原発事故を起こした原因も大人。しかし、学校でいじめられるのも、「将来病気になるかも…」と不安に思いながら生きるのも、家族が離れ離れになるのも僕たち子どもです。
原発事故が起きてしまった今、本当は誰も安全なんて言えないはずだし、実際、誰も僕に「君は病気にならないよ」とは言ってくれません。なのに、東京電力や国の大人たちは「あなたの地域はもう大丈夫ですので安心してください」と言って、危険があるところへ戻らせています。でも、僕たちが大人になって病気になるかもしれない頃には、僕たちを無理やり危険な場所へ戻らせた大人たちは死んでしまっていて、もういない。そんなのひどくないですか?
僕たちはこれから、大人の出した汚染物質とともに、生きることになるのです。その責任を取らずに先に死んでしまうなんて、あまりに無責任だと僕は思います。せめて生きているうちに、自分たちが行ったこと、自分たちが儲けて汚したものの責任をきちんと取っていって欲しいです。
そして今は、「(放射能)汚染した場所に戻りたくない」と思っている僕たちを無理やり(放射能)汚染している場所に戻らせることは絶対にやめて欲しいです。
僕、父、母と弟はもちろん、避難者はみんな原発事故が起きてから、生活、人生も変えさせられてしまいました。誰も望んだことではありません。避難者は、みんな同じです。東京電力と国には責任をとってもらいたいと思います。裁判所は、僕たち子どもたち、そして、全ての避難者の声に耳を傾けてください。

福島原発被害東京訴訟・第25回期日(結審期日)のご報告

去る10月25日に、東京地裁103号法廷にて、福島原発被害東京訴訟の第25回期日(結審期日)が開催されました。当日は、開始時刻である午後1時半前に法廷の傍聴席はすでに満員となっており、残念ながらせっかくお出でになったのに傍聴できない方もいらっしゃったほどでした。

法廷では、原告2名(1名は中学生の原告、もう1名は母子避難している母親)と、弁護団3名(責任論を平松真二郎弁護士、損害論を吉田悌一郎弁護士、最後の総まとめを弁護団代表の中川素充弁護士)による意見陳述が盛大に行われました。

この期日で、1次と2次の訴訟は弁論を終結(結審)し、次回にいよいよ判決が言い渡されます。判決期日は、来年3月16日午後3時からで、場所は東京地裁103号法廷です。皆さま、傍聴をお願いいたします。

問い合わせ先=〒160-0022 東京都新宿区新宿1丁目19番7号 新花ビル6階 オアシス法律事務所内 福島原発被害首都圏弁護団/電話 03-5363-0138 /FAX 03-5363-0139
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