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福島原発被害東京訴訟・第2陣訴訟第4回口頭弁論期日のご報告

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去る5月29日、東京地裁103号法廷で、福島原発被害東京訴訟・第2陣訴訟の第4回口頭弁論期日が開かれました。

 

この日は、栃木県の県北地域(那須塩原市)に住むある女性の原告(原告番号C1-1)が、法廷で意見陳述を行いました。

 

栃木県の県北地域は、福島県に隣接する地域であり、実は、原発事故の放射線被ばくを相当程度受けている地域です。

 

しかしながら、実際にはまったく被害の救済がなされていない地域です。

 

福島原発被害東京訴訟では、福島県からの避難者の他、福島県内の放射能汚染地域に居住する原告(いわゆる滞在者)もおり、さらに、福島県以外の栃木県北地域の住民も原告になっています。

 

今回の裁判では、上記の原告は、福島原発事故後の栃木県北地域の被害について、克明に意見陳述を行いました。

 

以下で、その意見陳述の内容を以下で紹介します。

 

【原告番号C1-1の意見陳述】

 

2011年の東日本大震災・福島原発事故発生当時、私は栃木県那須塩原市の自宅におりました。私の両親と末の三男と一緒に住んでおり、長男・次男は留学中でした。三男は、幼稚園の卒園を控え、既に春休みに入っていましたので、自宅におりました。

 

3月17日が卒園式でしたが、2日前の15日に福島第一原発の3号機が爆発を起こしたのを映像で見たので、家の外へ出して卒園式へ参加させるか非常に悩みました。当時、家の周辺、市内の放射線量がどのくらいなのか、どのくらいの放射性物質が飛んできているのか、わからなかったからです。息子の通っていた幼稚園から、原発事故に配慮して、室内だけで時間を短縮して卒園式を行うとの連絡があったので、マスクをし、園までは車に乗せて、息子を出来るだけ外へは出さないように卒園式に参加させました。

 

その後いくら待っても、東京電力から原発事故についての説明はありませんでした。市や学校は「大丈夫」と言うばかりで、やはり具体的な説明はありませんでした。「大丈夫だから、通常通りに学校に子どもを通わせるように」と言われても、どう大丈夫なのか、確信が持てないことをできるはずもありません。原発事故に伴う放射性物質の降下物もありますので、三男には5月の運動会の練習をさせず、室内待機をさせていました。そんな中、原発事故の状況や自分たちの環境を心配した他の保護者とともに、状況を把握し、子どもたちの安全を図るべく、6月最後の日に市民団体を立ち上げました。

 

栃木県が6月になってようやく放射線の測定を始めました。驚いたことに、校庭の線量が1μSV/hを超える学校もありました。しかし、部活動は普通にしていましたし、プールのお掃除も子どもが胸までつかってする学校もありました。みんなが状況を把握して、納得した上でやっているとはとても思えなかったので、学校、市教委、市と話をしようと伺いましたが、「文科省が大丈夫と言っている」「国が大丈夫と言っている」と言って、最初は取り合ってもらえませんでした。そこで、市民団体を立ち上げ、同時に、校庭の表土除去を求める署名活動を始めたのです。

 

原発が危ないとのニュース聞いた3月12日から、3月・4月中は、計画停電の中で、放射線や放射性物質に関する知識を得るため、必死にネット検索をしていました。チェルノブイリ原発事故での汚染の広がり方から風向きと地形の関係性を那須塩原市へ指摘し、線量を測定して把握するまでは単純に大丈夫とは言えないと抗議しました。後から知ったことですが、その時、国は放射線量の実態を那須塩原市の住民に知らせることなく、ただ、大丈夫とだけ伝えられたのですが、何故そうしたのか、今でも理解できません。パニックを避けるためと有識者のお話を伺ったことがありますが、パニックを起こしていたのはむしろ国であると思います。

 

私は、どんな状況で今後も同じ地域に住めるのか、状況判断と安全対策のために必死で勉強して、その間にも息子が緊急な危険にさられているかもしれないので、夏には海外へ避難させていました。

 

今でもよく覚えているのは、3号機が爆発した後、冷却水が注入されるまで、いつまた爆発するから解らない状況の中、ガソリンも不足していたり、東北の津波での混乱と物資も不足して、いつ避難しようかと、避難できるのだろうかと、我が子の寝顔を見ながら必死に考えていたことです。かろうじて様子を見るにとどまったのは、コンクリートが放射線の遮蔽物になることは広島・長崎での原発事故に関しての本を子どもの頃読み、そのことを覚えていて、そして我が家がたまたま鉄筋コンクリートの家であったからです。原発から100kmあれば、少なくとも即死は免れるだろうとも考えたからです。

 

それとよく覚えているのは、卒園式のあった3月17日の夕方、食器を洗おうと水道水を出すと、水を流し始めてから数秒後に一気に水が硬くなったのを感じました。水がおかしいと感じて、手をひっこめたのを覚えています。シャワーの水も同じような感じでした。それから2日くらいして手の皮がむけ、やがて、全身垢すりでもしたかのように皮がポロポロと剥けだしました。それは1か月ほど続きました。足の裏の皮は、3か月近く剥けていたと思います。これは水道水に混じった放射性物質に直接触れたことにより起こったことではないかと疑っています。同じ市内の近くに住む友人も、水道水がおかしいと言い、同じように手の皮がぼろぼろになったと言っていました。後に放射線の専門家とお話する機会が何度かありましたので、この話をしたところ、放射性物質に直接触ってしまったことで起こり得ることではあると思うとの意見をいただきました。また、息子は当時、鼻血がよく出ました。それも、放射性物質を吸い込んで鼻の粘膜に付着したためではないかと思っています。大人でも、除染の為屋根を掃除した方や、原発事故当時ずっと屋外に居た方が、やはり鼻血を出したと聞いています。

 

放射線の被ばくでは身体への影響が最もこわいです。実際、体の異変も感じていたので、甲状腺のエコー検査は、2012年から受け、2013年からは自分たちが主催団体になって実施しています。

 

原発事故から4年くらいまでは、東電はいつ説明に来るのだろう、謝罪はするのだろうかと考えていました。国も政権が代わって、改めて説明に来るのではないかと思っていました。しかし、それもなく、8年の歳月が経ちました。原発事故は、結局福島県だけの問題とするように見えます。これまで市や県が講じた対策以外に、国、東電からの説明も今後の対策・対応の話もありません。

 

しかし、原発事故は福島県だけの問題ではありません。放射性物質による汚染は、県の境を超えて、栃木県にも及んでいます。現在も、庭の山菜やキノコは食べられません。市が私の自宅周辺を除染した際に出た放射性廃棄物も、ずっと庭に埋められたままです。国策として行って来た原発事業が、事故を起こし、その後の対策が市町村任せというのはあまりにもずさんだと言わざると得ないと思います。

 

原発事故後の対応を東電に問い合わせたこともあります。「今のところ福島県の方だけの対応で、今後対応の枠が広がればお知らせ致します。」といった内容でした。枠も何も、庭で栽培していた原木しいたけはキロあたり900ベクレルもあって食べられません。それも雨を含んで散々膨らんだ状態のものを測定して、です。市場に出回るサイズのしいたけを測定したなら、キロあたり1000ベクレルは超えると思います。それも直ぐに測定するのが怖かったので、原発事故後3年目に測定したものです。もう庭でしいたけは栽培しても食べられないので、その後原木ごとしいたけは放置し、その後市が自宅を除染する際に一緒に庭に埋めてもらいました。

 

私の自宅周辺は林なのですが、市に除染して頂いた自宅の周り以外、周辺の林に入ると今も平均して、0.4μSV/hほどあります。付近の山菜は出荷停止になるレベルの放射性物質を含んでいます。息子は庭で遊ぶこともなく、小学生時代を過ごしました。外遊びをするには、線量のより低いところへ連れて行きました。現在も原発事故当初と同じ場所に住んではいますが、山菜等は食べられません。家庭菜園は、原発事故後に放射性物質の野菜等への移行を防ぐ方法を必死に学び、事故後3年してからやっと再開しましたが、定期的に作物のベクレル量の測定をしないと食べられません。今後も気が抜けないことを考えると、移住も考えざるをえないと思っています。原発事故前は、庭でできる農作物や山菜、きのこを毎年楽しみして暮らしていたのですが、畑のものは定期的に測定する負担が大きく、山菜やきのこは見つけても食べられません。原発事故前と暮らしが全く変わってしまい、大変悔しい思いをしています。

 

原発事故当時の話になると、放射線の測定もしていないのに、子どもを外へ出してしまったなどの後悔の声は今もお聞きします。少ないからいいとか、このくらいなら大丈夫という問題ではなく、無用に被ばくする必要はなかったはずです。原発事故後しばらくの間、栃木県の私たちに放射能汚染の実態を伝えられなったことは、人権の無視だと感じました。私は、汚染状況の把握と今後の対応を質問しに学校を訪ねたときには、「自己責任」と言われました。「国が大丈夫だと言っているのだから、心配するのはおかしい」という風潮もあって、保護者の中には、心配しながらも、「心配だ」とすら言えず、ただ子どもを見守るしかなかった人もいます。国が汚染状況を率直に説明をしなかったことで生じた混乱や軋轢は、見逃せないものがあると思います。

 

放射性物質が降ってきて食の安全が脅かされ、身体に異変を感じ、庭にはまだ残る放射性物質。そして、私の住む地域で除染などで出た放射性物質の行き場は決まらず、問題は解決していません。それに加えて、今後も、食べ物の安全をそのつど確認しながら、健康被害を気にしながら、生活していかなくてはなりません。こうしたことに謝罪どころか、一度も説明がなく、汚染などへの対応に費やした時間や費用には何の償いもありません。責任の所在もうやむやのままです。こんな状態の国をこのまま次の世代に渡すのは、大変申し訳なく、耐えがたいものがあります。

 

私たち栃木県北地域住民の被害を認めていただき、責任の所在を明らかにして頂きたいと思います。

 

【今後の裁判期日について】

福島原発被害東京訴訟では、今後下記のとおり裁判期日が予定されています。裁判終了後は、近くで報告集会も予定されています。

 

是非傍聴をお願いします。

 

第5回期日 2019年9月4日(水)午前10時30分~  東京地方裁判所1階103号法廷

第6回期日 2019年12月4日(水)午前10時30分~ 東京地方裁判所1階103号法廷

 

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