原告さんからのメッセージ

3月11日の提訴に際して寄せられた原告2(-1)番さんのメッセージをご紹介します。

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私は,福島県いわき市からの避難者です。地元に夫を残し,幼い子ども2人を連れて東京都内で避難生活を送っています。そろそろこの避難生活も2年になります。

原発事故の後,こちらに来てからは,親戚の家や東京都内の避難所などを転々としてきました。当時避難所だった赤坂プリンスホテルに入った当初,東京都の公営住宅の応募は区域内からの避難者に限られており,私たち区域外避難者は応募することができませんでした。赤坂プリンスホテルは平成23年の6月末で閉鎖されると聞いていましたし,その後私たちは住むところもなくどうなってしまうのかととても不安でした。結局,私たち区域外避難者も遅れて東京都の公営住宅に入居することができるようになりましたが,あのときの不安な気持ちは今も忘れることができません。

これまでの避難生活の中で,一番辛いことは,夫も含めた家族4人で一緒に暮らすことができないことです。夫は仕事があるため,地元のいわきに残り,私たちとは離ればなれに生活しています。子どもが学芸会や運動会などで活躍する姿を夫に見せてあげることもできません。子どもたちにも,普段父親が近くにいないということで寂しい思いをさせてしまっています。夫は,平均すると1ヶ月に1回くらい,週末に自動車を運転してこちらまで会いに来てくれます。地元で1週間仕事をして疲れており,さらに自動車を運転してこちらまで来て,今度はとても元気いっぱいの子どもたちと遊びます。日曜日の夜にこちらで晩ご飯を食べてそれから運転していわきまで帰って行きます。大変疲れると思います。このような生活がいつまで続くのかと思うと,辛い気持ちでいっぱいになります。

いわき市は避難指示が出ていない安全なところなのに,何で避難生活をしているのかなどと言われることがあります。しかし,本当に安全だと言いきれるのでしょうか。政府による避難指示区域は,30キロというところで勝手な線引きをされてしまっていますが,放射能汚染が30キロでストップするわけではないのです。福島原発事故は未だに収束していないし,いわき市内でもいわゆるホットスポットと言われる放射線量の高い場所がたくさんあります。

そのような場所に,幼い子どもを帰すわけにはいきません。将来子どもたちの健康に影響が出たり,福島県民ということで,たとえば結婚などで差別されたりしないかと,とても心配です。

私たち区域外避難者は,区域内の避難者と比べて,いろいろな面で置き去りにされています。原発事故の被害者だとすら思ってもらえないこともあります。私が今回,この裁判の原告になることを決意したのは,自分が動くことによって,私たちのような区域外避難者の被害を世間の人々に理解してほしい,分かってもらいたいと思ったからです。また,事故直後から事故に関する正確な情報を公開せず,隠したりごまかしたりする国や東電の対応が許せないと思ったからです。危険なことは危険だとはっきり情報を公開してくれなければ,また同じような原発事故が起こります。これから先も私たちのような犠牲者が出るのはもうたくさんです。

一人一人ができることは小さなことかも知れません。しかし,声を上げなければ何も変わりません。幼い子どもたちのためにも,がんばって少しずつでも前に進んでいきたいと思います。皆さんどうかご支援をよろしくお願いします。

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