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福島原発被害東京訴訟・第12回期日のご報告

第12回期日 第12回期日2

7月15日午前10時から、東京地裁101号法廷にて、福島原発被害東京訴訟・第12回期日が行われました。

 

法廷では、当方から、責任論についての国の主張に対する反論を中心とした準備書面(30)と、損害論の総論に関する準備書面(31)(低線量被曝に関するICRPの基準、LNTモデル)及びその関連証拠を提出するとともに、各原告の個別準備書面及び関連証拠を提出しました。

 

一方、被告の東電からは、原告らの内部被ばくの危険性に関する主張に対する反論である共通準備書面(8)、文書送付嘱託に関する準備書面(9)及び関連証拠が提出されました。

 

その後、原告団長である鴨下裕也さんの意見陳述と,弁護団の内田耕司弁護士による意見陳述が行われました。

 

以下で、原告鴨下裕也さんの意見陳述の内容を紹介します。

 

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1 仮設住宅の提供の打ち切りの発表

私は、この訴訟、福島原発被害東京訴訟の原告団長です。今日は原告団長の立場から、私自身を含め、最近の原告たちの苦しい状況について、お話を致します。

最近、私たち避難世帯を更に苦しめる大きな出来事がありました。

先月の15日、福島県が、現在の避難指示区域以外からの避難者について、災害救助法に基づく応急仮設住宅の提供期間を2017年3月までとし、それ以降は延長しないという方針を決めたのです。

私たち1次・2次訴訟の避難者原告は、全員、避難指示区域から避難しています。以前指定されていた緊急時避難準備区域から避難してきた原告もいますが、緊急時避難準備区域は2011年9月に解除されましたので、今は全員が「避難指示区域以外からの避難者」です。

私たち避難者原告が住んでいる場所は都営住宅や公務員宿舎ですが、法律上はプレハブの仮設住宅と同じように扱われる「みなし仮設住宅」です。これらの仮設住宅は、避難者に無償で提供されてきました。

私も、原発事故の後、「避難指示区域以外」である福島県いわき市から首都圏へ避難し、今は、妻と2人の子どもと共に、東京都内にある「みなし仮設住宅」で避難生活を送っています。

訴状にもありますように、避難指示区域以外からの避難者は、行政からの他の支援はほとんど受けておらず、東京電力から任意の支払いを受けた賠償金もごくわずかです。とりわけ、避難元の福島県内に生計維持者などを残して、母親と子どもだけが東京で避難するという、いわゆる「二重生活」を送っている家族は、特に生活費がかさんで苦しい家計になっています。このため、避難指示区域以外からの避難者にとって、仮設住宅は、避難を続けていくための重要な支援になっており、避難生活の命綱のようなものなのです。

しかし、この避難のための住宅から、私たちは、2017年3月で出て行くよう通告されたのです。

 

2 避難者の経済的な困難

この決定を知って、多くの避難者が動揺し、これから家賃を負担しながら避難生活を続けられるのかと不安を口にしています。

現在、私が生活している仮設住宅は、東京都内でも家賃相場が高いと言われている地域にあり、夫婦と子ども2人の4人家族が生活できる賃貸物件では月15万円以上の家賃が必要となります。いわきの自宅のローンを支払いながら、このような高額な家賃を負担できるのか、まったく見通しが立ちません。

避難者の中には、私のように避難により福島での仕事を辞めざるを得なかった人はもちろん、二重生活を送っている家族もあり、仮設住宅の無償提供が打ち切られれば、避難生活を続けることは不可能だという人もいます。これは、経済的に苦しい避難指示区域以外からの避難者に対し、事実上帰還を強制するものというほかありません。

仮に現在の仮設住宅のある地域から引っ越せば、大人は転職を、子どもたちは転校をしなければなりません。避難先でようやく新しい人間関係を築いてきた子どもたちの気持ちを考えると、遠方に引っ越すのも躊躇われます。

私も、受験勉強を頑張って希望する中高一貫校へ入学した子どもや、学校で友だちと楽しい学校生活を送っている小学生の子どものことを考えると、遠方への引越しは避けたいという気持ちが強くあります。

家族で生活する上で必須の住宅を追われるという不安があまりにも大きく、提供が打ち切られた後の生活をどうするかは、正直なところ、うまく考えることができない状況です。

私たち避難者原告は、国も東電も安全だとアピールしてきたはずの原発の事故によって、突然それまで住んでいた福島県を追われ、生活を破壊され、それでも必死に避難生活を送ってきました。しかし、今、行政の判断一つで住宅を追われようとしています。

このように私たち避難者の生活は今でもとても不安定なものなのです。

 

3 帰りたくても帰れない現実

仮設住宅の提供の打ち切りは、福島県への帰還や避難者の「生活再建」を促すためだとされています。また、先日、発表された子ども被災者支援法の基本方針の改訂案では、「空間線量等からは、避難指示区域外の地域から避難する状況にはな」いと明記されているとの報道を目にしました。

しかし、どちらも福島の現状を全くわかっていない考え方だと思います。

例えば、私が住んでいたいわき市は、今でもタケノコ、ゼンマイ、わらびなどの山菜は、出荷が制限されたままです。しかし、最近1年ほどの間、いわきの様子を見ていると、個人的に山菜を収穫し、自宅で食べたり、お裾分けしている人もいるようで、いわきに住む知人からもそのように聞いています。

避難指示区域でないからといって、このような場所に帰れと、まして、幼い子どもたちを連れて帰れと強制される理由はありません。

私たち家族に限らず、避難者原告は、誰も好き好んで避難している訳ではありません。避難指示区域からの避難者も、避難指示区域以外からの避難者も、帰りたくても帰れないのです。

4 おわりに

このような避難者の状況を踏まえて、今年5月には、避難用住宅の長期・無償の提供を求める4万4978筆の署名が国と福島県に提出されました。

この署名は、私たち避難者はもちろん、避難者ではない多くの市民の方々から寄せられたものです。

避難者の置かれた状況を見れば、住宅の無償提供の打ち切りなど、撤回以外にないという思いはありつつも、これだけ多くの声が寄せられたにもかかわらず、提供の打ち切りを決められ、これ以上、何をすればよいのか途方に暮れています。

もし避難を続けることができず、福島県内への帰還を余儀なくされれば、東京には滅多に来ることはできなくなりますから、東京地方裁判所で、原告として、この裁判を続けていくことにもマイナスの影響が生じるのは間違いないと思います。

裁判所におかれましては、避難指示区域以外から避難している人も、今も避難を続けざるを得ない状況に置かれていること、そして、避難により経済的にも精神的にも大きな負担がのしかかっているのだということをご理解いただき、公正な判断をしていただきますようお願いいたします。

以上

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原告の意見陳述が終わると傍聴席から自然に拍手が起きました。

法廷が終了すると、近くの弁護士会館で報告集会が行われ、弁護団から法廷の説明と、参加者からの発言などがありました。

今後の予定は,
2015年 9月18日  10時~ 東京地裁101号法廷
2015年11月11日  10時~ 東京地裁103号法廷

2016年1月20日  10時~ 東京地裁103号法廷

2016年3月16日  10時~ 東京地裁103号法廷

です。傍聴をよろしくお願いします。

<問い合わせ先>
〒160-0022
東京都新宿区新宿1丁目19番7号 新花ビル6階 オアシス法律事務所内
福島原発被害首都圏弁護団
電話:03-5363-0138 FAX:03-5363-0139
メール:shutokenbengodan@gmail.com
ブログ:http://genpatsu-shutoken.com/blog/
FB : https://www.facebook.com/genpatsuhigai.shutoken.bengodan

福島原発被害東京訴訟・第12回期日(7月15日)及び報告集会のご案内

第12回期日

国と東京電力に対し原発事故の責任を問う「福島原発被害東京訴訟」の第12回期日が7月15日(水)午前10時から、東京地裁101号法廷で開かれます。

先般、現在の避難区域以外の避難者に対する応急仮設住宅の提供打ち切りが発表されました。

原告の皆さんの生活基盤を奪おうとするもので、決して容認できません。

弁護団は、打ち切り撤回を求めるとともに、原告の皆さんとともに不退転の決意で闘いを続けます。

1人でも多くの方が傍聴することで、原告の皆さんを支えることができます。

そうすることによって、正しい裁判への道が開かれ、これまでの誤った政策も正すことができます。

傍聴券は配布しませんので、だれでも定員まで先着順に入廷できます。

原告を応援するサポーターズも募集しています。

【福島原発被害東京訴訟第12回期日のご案内】

[第12回期日(口頭弁論)]
日時:7月15日(水) 午前10時~
場所:東京地方裁判所101号法廷
※法廷の場所が前回と違いますので、ご注意ください。
[東京都千代田区霞が関1-1-4]
原告の方と弁護団の意見陳述を予定しています。

[報告会]
同日 期日終了後(10:40ころ~)
場所:弁護士会館10階1006AB会議室
[東京都千代田区霞が関1-1-3]
当日の裁判の説明,これまでの経過報告とともに,今後の手続の流れや方針などについて,弁護団からご報告します

裁判所の最寄り駅は
東京メトロ丸ノ内線,日比谷線,千代田線「霞ヶ関駅」(東京地裁はA1出口すぐ目の前)
東京メトロ有楽町線「桜田門駅」 (東京地裁は5番出口から徒歩3分)です。

☆当日、9時30分より地裁前でチラシ配布・アピールなどいたします。こちらにもご参加ください。

(その後の期日予定)
9/18(金)10:00、11/11(水)10:00

<問い合わせ先>
〒160-0022
東京都新宿区新宿1丁目19番7号 新花ビル6階 オアシス法律事務所内
福島原発被害首都圏弁護団
電話:03-5363-0138 FAX:03-5363-0139
メール:shutokenbengodan@gmail.com
ブログ:http://genpatsu-shutoken.com/blog/
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福島原発被害東京訴訟・第11回期日のご報告

裁判の報告集会

< 裁判後の報告集会の様子 >

 

5月13日午前10時から、東京地裁103号法廷にて、福島原発被害東京訴訟・第11回期日が行われました。

 

法廷では、当方から、責任論についての国の主張に対する反論である準備書面(28)と、損害論の総論に関する準備書面(29)(原告らの精神的損害について)及びその関連証拠を提出しました。

 

一方、被告の東電からは、原告らの放射線被害に関する主張に対する反論である共通準備書面(7)及び関連証拠が提出されました。

 

その後、原告(原告番号8番さん)の意見陳述と,弁護団の平松真二郎弁護士による意見陳述が行われました。

 

以下で、原告の意見陳述の一部を抜粋して紹介します。

 

「私は今72歳です。2011年3月15日まで福島県田村市に住んでいました。でも故郷は福島ではありません。60歳まで神奈川に住み、東京で消費生活相談員として働いていました。夫は定年後は大地に根ざした暮らしがしたいと考えていました。そこで定年前に田舎暮らしをする土地を探し始め、1994年福島県田村市に9000平方メートルの土地を見つけました。その2年後地元の大工さんに頼んで在来工法の家を建てました。」

 

「1998年にまず夫が、私はその5年後に移住しました。夫婦二人で鍬で原野を開墾して、200坪の畑にしました。近所では牛を飼っていましたので、牛糞と敷き藁を積んで肥料としたものを分けてもらい、林から落ち葉を集めてきて、それも肥料にして畑に入れました。3年ほどすると、いい土になり、化学肥料を使わずともおいしい野菜が取れる様になりました。またその季節に合った野菜を作れば農薬を使わずとも育てられる、寒冷紗という目の細かいネットを使ったり、草を防ぐ防草シートを使ったりすれば、作業が楽になることも分かりました。」

 

「育てていた野菜は、たとえば茄子だけでも7品種でしたから、全部で50品種を超えていました。そのほかに黄色いキウイ、25本のブルーベリー、木立の中では椎茸や舞茸、なめこといった茸を栽培し、ほかに自生してくる山うどや蕗、たらのめ、わさびなどの山菜、栗があり、水がおいしく、まさに自然の恵みに感謝する日々でした。作業場に作った囲炉裏で、取れた野菜や山女を焼き、飲み、しゃべり、楽しい日々でした。夫は2007年に亡くなりましたが、私一人で暮らし続け、2010年にはキウイ39kg、ブルーベリー29kg、大豆16kg、クッキンクトマト53kg、いろいろな茄子120kgなどになり、またブルーベリーやイチゴからジャムを作り、千枚漬やキムチを漬け、大豆からは麹も手作りして味噌を仕込みました。」

 

「しかしこの暮らしは2011年3月11日で一変しました。最初は3キロ圏内の避難指示でしたが、それが10キロ20キロと私の家に近づいてくるのです。とにかく早く原発から遠ざかりたい、しかし高速道路は閉鎖されており、ガソリンも心もとなく、一人で一般道を長時間運転していくことに不安でした。」

 

「どうしようか考えあぐねていたところ、3月14日に電話回線が復旧しました。陸がだめなら空があると思い、福島空港に電話したところ、羽田行きの臨時便があると聞き、それから3時間復旧したパソコンの前に座って、その日はダメでしたが、翌15日の搭乗券を手に入れたのです。午後4時過ぎの便でしたから、15日は昼ごろ出て行けばいいと考えていたのですが、朝8時のニュースで東電の人が「職員は退避しました」と言っていて、私はこれは大変なことが起きたに違いないと思い直ちに犬を連れて車に飛び乗りました。国道288号線はガソリンを求める車で渋滞また道も分からず迷いましたが、なんとか昼ごろには空港にたどり着きました。羽田には長男が迎えに来てくれ、9時過ぎに都内の長男宅に着きました。東京都が用意してくれた被災者用住宅に入れることになったのは4月1日でした。」

 

「私の住んでいた地域は原発から30.5キロのところです。4月半ばになって田村市が詳細な地図を入手したところ20キロ30キロの円を描く円心がズレていたことが分かり、同じ大字の一部が30キロ圏内に入っていたことから、大字全体が緊急時避難準備区域に指定されました。これは9月には解除されています。

翌12年5月に校正されたサーベイメーターを借りて福島の家や敷地の放射線量を計りました。家の中は1m高さで1時間あたりほぼ0.4μSvだったのですが、二階の天井の下にサーベイメーターの検知部分を近づけると1時間あたり0.71μSvもありました。敷地ではケヤキの下が最も高く1時間あたり3.80μSv畑は大体1μSv前後でした。」

「帰れといわれてもこの砂だらけの畑に戻る気にはなりません。除染をしたからといって元の畑に戻ったわけではありません。年月をかけ豊かな土を作ったのに、これから有機栽培を再開するためには、山から落ち葉を集めてくるわけにはいかないし、近所から牛糞をもらってくるわけにもいかないでしょう。砂だらけの畑では前のような農作物を作れません。土も買わなくてはいけないでしょう。またまた長い年月をかけなくてはならないでしょうし、こういう畑の作物を喜んでくれるとは、とても思えません。

72歳の私がなぜそんな苦労をしなければならないのでしょうか?

夫婦二人の苦労を一度の事故で台無しにされ、孫をこの地で遊ばせる楽しみも奪われてしまいました。

私は被害者です。被害者がいて加害者がいないなどということはありえません。私のような被害にほかの誰かがあわないためにも、責任はきちんととって頂きたい。

国や東電に私の被害の救済を求めます。」

 

 

 

原告の意見陳述が終わると傍聴席から自然に拍手が起きました。

法廷が終了すると、近くの日比谷図書会館で報告集会が行われ、弁護団から法廷の説明と、参加者からの発言がありました。

今後の予定は,
2015年 7月15日  10時~ 東京地裁101号法廷
2015年 9月18日  10時~ 東京地裁101号法廷
2015年11月11日  10時~ 東京地裁103号法廷

です。傍聴をよろしくお願いします。

福島原発被害東京訴訟・第11回期日(5月13日)及び報告集会のご案内

第11回期日案内

国と東京電力に対し原発事故の責任を問う「福島原発被害東京訴訟」の第11回期日が

5月13日(水)午前10時から、東京地裁103号法廷で開かれます。

当日は、原告の1人である女性及び弁護団による意見陳述を行う予定です。

1人でも多くの方の傍聴をお願いします。

 

福島原発被害東京訴訟
[第11回期日]
日時:5月13日(水) 午前10時~
場所:東京地方裁判所 103号法廷[東京都千代田区霞が関1-1-4]
原告及び弁護団からの意見陳述を行います。
☆9時30分より地裁前でチラシ配布・アピールなどいたします。こちらにもご参加ください。

[報告会]
日時:5月13日(水) 裁判終了後(10:40頃)
場所:日比谷図書文化館(日比谷公園内) スタジオプラス
当日の裁判の説明,これまでの経過報告とともに,今後の手続の流れや方針などについて,弁護団からご報告します。

最寄り駅は、いずれも
地下鉄丸ノ内線,日比谷線,千代田線「霞ヶ関駅」(裁判所はA1出口そば)
または地下鉄有楽町線「桜田門駅」 です。

(その後の裁判期日予定) 7/15(水)10時、9/18(金)、11月11日(水)

<お問い合わせ>
〒160-0022
東京都新宿区新宿1-19-7 新花ビル6階オアシス法律事務所内 福島原発被害首都圏弁護団
電話 03-5363-0138
FAX 03-5363-0139
shutokenbengodan@gmail.com

福島原発被害東京訴訟・第10回期日のご報告

裁判所前の宣伝行動

<裁判所前の宣伝行動>

 

3月25日午前10時から、東京地裁103号法廷にて、福島原発被害東京訴訟・第10回期日が行われました。

法廷では、当方から損害論の総論に関する準備書面(27)を提出するとともに、原告13世帯分の陳述書(各原告世帯の被害実態を記載した文章)及びその他の関連証拠を提出しました。

一方、被告東電からは、中間指針や東電の立場からの避難者に対する賠償の考え方に関する共通準備書面(6)及び関連証拠が提出されました。

また、被告国からは責任論(シビアアクシデント対策)に関する第6準備書面が提出されました。

その後、原告(原告番号17-1さん)の意見陳述と、弁護団共同代表の中川素充弁護士の意見陳述が行われました。

以下で、原告の意見陳述を一部抜粋します。

「2011(平成23)年3月13日,福島原発が爆発した映像をみました。福島第一原発は,いわき市から30キロくらいのところにあります。いわき市からすぐそこにある原発が爆発しているということにショックを受けました。もういわき市に住んでいることが怖いと感じました。

家族で2台の車に分乗して,避難を始めました。親族や知人を頼って,茨城県日立市,東京都足立区へ避難しました。移動中の恐怖心や不安感は今も忘れることができません。長女の通う小学校が4月上旬に再開するということで仕方なくいったんいわき市へ戻りました。しかし、強い余震もあり,また原発が爆発するのではないか,その時は逃げられないのではないか、子どもたちを原発の近くにおいておくわけにはいかないという思いを消すことができず,仕事のある家族を残して,今度は私と子どもたちだけ避難するということになりました。」

「長男は,ダウン症で特別支援学校に通っていました。避難先を転々としている間は,転校先が決まらず,現在の住宅へ入居後,転校先を見つけることができました。避難してきた最初のころは,地震に敏感に反応して小さな地震でも怖がって泣くこともありました。避難生活になじめずいわきに帰りたいと訴えることもありました。避難生活の間に高等部を卒業したときも,いわきの友だちと一緒に卒業したかったと泣かれました。その後、区の就労支援施設で働くようになってからは,いわきに戻りたいとは言わなくなっています。

長女は,避難を始めた当時,小学1年生でした。避難してきてから鼻血を出すようになりました。最近は落ち着いていますが,突然,鼻水が垂れるように鼻の奥から血が流れてくるそうです。本人は慣れたもので,自分でティッシュを使って鼻血を止めるようになっています。

長女は,昨年4月に受けた甲状腺検査で膿胞があり「A2」と診断されました。また,扁桃腺肥大とも診断されており半年に一度の経過観察が続いています。

避難先の学校で友達はすぐにできたようですが,小学3,4年生のときには,朝,体調は悪くないのに学校に行きたくないと言うこともあり,学校を休むことも多くありました。いわきに帰りたいということもありました。」

「私たち夫婦の間には,2013年1月に二女と三女が双子で誕生しました。いわきでの生活では隣の家まで距離がありましたから,少々泣かれても気にすることはありませんでしたが,乳幼児を育てるなかで,壁一枚で隣の家がある共同住宅では子供の泣き声がどこまでも聞こえてしまうような気がして,物音をたてないように気を使うようにもなりストレスにもなっています。また、まだ小さいわが子を父親と一緒に生活させてあげられないことが申し訳なく、私自身夫のいない生活は気持ちの休まる余裕がなく、精神的につぶれそうになるときもあります。」

「私たちは,放射能の影響を避けたいから避難生活を始めました。夫は生活のためにいわき市に戻っていますが,本来であれば,家族全員が安心して暮らせるところで,家族そろって暮らしたいと思います。

夫が転職して東京で一緒に暮らすことを考えたこともありますが,転職すると収入が減ることになり,なかなか転職に踏み切ることもできません。

いまは,二重生活での避難生活か,放射能のリスクを覚悟して福島で家族そろって生活するかのどちらかを選ぶしかありません。」

「私がこの裁判の原告に加わったのは,原発事故について,きちんと責任を取り,謝ろうとしない東電や国の対応が許せないと思ったからです。特に,政府が決めた避難区域外から避難している者について,「自主避難」とか「好きで避難している」ように扱われることは納得できません。好きで家族バラバラに暮らす人がどこにますか。好きで子どもを泣かせる親がどこにいますか。私たちは避難したくて東京で生活しているのではありません。原発事故でたくさんの放射性物質がまき散らされた福島で子どもたちを生活させることは,子どもたちへの放射能の影響を考えると,とてもできることではないのです。本人が必要だと考えて避難しているのですから,避難することくらい認めてもらいたいと思います。」

 

原告の意見陳述が終わると傍聴席から自然に拍手が起きました。

法廷が終了すると、隣の弁護士会館で報告集会が行われ、弁護団から法廷の説明と、参加者からの発言がありました。

今後の予定は,
2015年 5月13日  10時~ 東京地裁103号法廷
2015年 7月15日  10時~ 東京地裁101号法廷
2015年 9月18日  10時~ 東京地裁101号法廷
2015年11月11日  10時~ 東京地裁103号法廷

です。傍聴をよろしくお願いします。

 

第10回期日報告集会

<法廷終了後の報告集会の様子>

 

 

福島原発被害東京訴訟・第10回期日(3月25日)及び報告集会のご案内

3月25日宣伝

 

国と東京電力に対し原発事故の責任を問う「福島原発被害東京訴訟」の第10回期日が

月25日(水)午前10時から、東京地裁103号法廷で開かれます。

当日は、原告の1人である、母子避難のお母さんが意見陳述を行います。

また、弁護団共同代表の中川素充弁護士による迫力あふれる意見陳述も予定しています。

1人でも多くの方の傍聴をお願いします。

 

福島原発被害東京訴訟
[第10回期日]
日時:3月25日(水) 午前10時~
場所:東京地方裁判所 103号法廷[東京都千代田区霞が関1-1-4]
原告及び弁護団からの意見陳述を行います。
☆9時30分より地裁前でチラシ配布・アピールなどいたします。こちらにもご参加ください。

[報告会]
日時:3月25日(水) 裁判終了後(10:40頃)
場所:弁護士会館5階502EF
当日の裁判の説明,これまでの経過報告とともに,今後の手続の流れや方針などについて,弁護団からご報告します。

最寄り駅は、いずれも
地下鉄丸ノ内線,日比谷線,千代田線「霞ヶ関駅」(裁判所はA1出口そば)
または地下鉄有楽町線「桜田門駅」 です。

(その後の裁判期日予定) 5/13(木)10時、7/15(水)10時、9/18(金)

<お問い合わせ>
〒160-0022
東京都新宿区新宿1-19-7 新花ビル6階オアシス法律事務所内 福島原発被害首都圏弁護団
電話 03-5363-0138
FAX 03-5363-0139
shutokenbengodan@gmail.com

福島原発被害東京訴訟・第6回期日の報告

5月28日に福島原発被害東京訴訟の第6回期日が行われました。

法廷では,当方から,
準備書面(13)貞観津波についての知見の蓄積と進展
準備書面(14)シビアアクシデント対策の必要性と被告国による対策の先送り
準備書面(15)被告国の規制権限の不行使の違法に関する原告らの主張の整理と被告らの過失(予見可能性の対象及び程度)について
準備書面(16)低線量被曝と避難の合理性について(その2)
準備書面(17)本件事故による放射能汚染の概況-その1
と関係証拠を提出しました。

また,期日間で東電と電事連に対する文書送付嘱託が採用となりましたが,いずれも嘱託に応じられないとの回答でした。理由は,従来の主張の繰り返しで,全く理由になっていないものでした。
そのため法廷では,当方(主に当職)から強く抗議をしました。今後,強制力のある文書提出命令を申し立てることを検討しています。この問題については,別途,ブログ記事を書きます。

その後,原告(原告番号10-1さん)の意見陳述と弁護団の平松真二郎弁護士の意見陳述が行われました。

原告の意見陳述では,
「・・・夫に会えるのは,1か月に2度ほどです。夫は,仕事が終わると,高速道路に乗って,東京に着くのはいつも深夜です。そして,翌々日の午前中には,いわきに帰って夜勤をしなければなりません。
ふだん夫のいない生活が続き,4歳になった娘は「パパは?」と私に聞いてきます。「お仕事なんだよ。」と答えますが,「なんで?」と納得しないことも多くなりました。
私は,いつも,こう娘に言い聞かせます。「みんなで楽しく住んでいた福島で、とても大きな事故があったの。その事故で,とっても怖いものがいっぱいあったから,あなたを守るためにパパとママは離れて暮らしてるんだよ。パパもママもあなたが大事だからね。」。そう言うと,娘は「パパがお仕事行って寂しいけど,頑張るね! だって,パパ,頑張ってるんだもん。」と言います。
でも,東京に来た夫が福島に帰るとき,何回かに一度は,娘が「パパと離れたくない…。パパと一緒がいい。パパとママとずーっと一緒にいたい。だって大好きなんだもん。」と泣いて,夫にすがります。私は,夫から娘を引き離して,夫をいわきに戻します。ですが,幸せな時間を過ごした後,かわいい娘と引き裂かれる夫の気持ちを思うと,いつも涙が出てきます。
夫は,「初めての子どもなのに,なぜ成長していく様子をすぐそばで見られないんだ。おれは『おかえり!』って,家で迎えて欲しかった。どんなに仕事で疲れても,家族が一緒にいれば休まるのに…。」と言います。・・・」
とこれまでの普通の生活を奪われた悲しみ,避難を決意するに際しての家族の苦悩,見えない将来への不安,国・東電に対する怒りなど,心からの訴えでした。意見陳述が終わると傍聴席から自然に拍手が起きました。

その後,別室で進行協議が行われ,次回までに国の認否,反論が出ることとなりました。また,東電については,最初,責任論に関しては,関係ないと言って消極的でしたが,裁判所からも促されて,基本的な事実関係の主張及び過失についての認否・反論をすることになりました。

今後の予定は,
2014年 8月28日  10時
2014年10月29日  10時
2015年 1月28日  13時10分
2015年 3月25日  10時
で,いずれも東京地方裁判所103号法廷です。

<期日後の報告集会>

第6回期日後報告集会(20140528)