去る10月25日に行われた福島原発被害東京訴訟の結審期日。原告2名と弁護団3名の意見陳述が行われました。2番目は、福島県いわき市から子どもを連れて東京で避難生活を送っている母親の原告の陳述です。以下、その内容を公開します。
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1 2013年3月11日に、私は、この裁判の第1次原告の1人として参加しました。それから約4年半、他の原告とともに、私たちは今日までこの裁判をたたかってきました。今日は、この裁判の最後に、もう1度意見を述べたいと思います。
2 この裁判が始まってちょうど半年後の2013年9月11日に、私はこの裁判の法廷に立って同じように意見陳述をしました。実はその頃は、子どもが学校を不登校になり始めた時期でした。私にとっても大変に辛い時期でした。子どもは頭痛などで学校に行くことができず、いくつも病院にかかり、お薬も処方されましたが、状況は改善せず、原因も分かりませんでした。私は、近くに相談できる相手もいないし、毎日1人で悩み続けました。どうして子どもが学校に行けなくなったのか、私が夫と離れて子どもたちを連れて東京に避難していることがいけなかったのかと、自分を責めたこともありました。やりきれない気持ちを紛らわすために、お酒も飲むようになりました。
後になって分かったことですが、子どもが不登校になった直接の原因は、学校の同級生の男の子数人から、「放射能バンバンバン」と言われていじめられたことでした。しかし、子どもは、自分が学校でいじめに遭ったことをなかなか私に打ち明けてくれませんでした。それは、幼い子どもながら、母親である私が放射能を避けるために避難しているのを知っていますので、子どもは私に気を遣って、放射能と言われていじめられたことを言い出せなかったのだと思います。こんな当時の幼い子どもの気持ちを思うと、今でもとても辛い気持ちになります。
3 最近、子どもの通う学校の社会科の授業で、広島・長崎の被爆者と、福島原発事故の問題が取り上げられたそうです。そこで、ある生徒が、「福島で原発の事故に遭った人たちは、ドンマイだよね。」と発言したそうです。「ドンマイだよね」という言葉は、軽く「残念だね」というような意味のようです。この発言をした生徒は、うちの子どもが福島から避難してきていることを知りませんし、悪気があったわけでもないと思います。しかし、子どもはこの生徒の発言にとてもがっかりしていました。広島や長崎の被爆者に対しては、誰も「ドンマイだよね」とか、軽く「残念だね」などと言う人はいないと思います。
私たちのような福島原発事故の被害者がとても軽く扱われている、忘れ去られようとしていることに、どうしても納得が行かないようです。原発事故の加害者である東京電力や国が、いつまでも責任逃れをしているために、世の中の人に正しい情報がきちんと伝わっていない、そして、そのために、私たち被害者がいまだに嫌な思いをさせられているのです。
4 私たちの避難元の自宅は、福島第一原発からわずか34キロのところにあります。自宅の敷地は、今年の6月に土壌の放射性物質の測定を行ったところ、1平方メートルあたり50万ベクレルを超える地点が2箇所もあったそうです。とても子どもたちを連れて避難元の自宅に帰ることはできません。
このように、放射性物質によって汚染されてしまった地域で、私の夫はこれまで6年以上も、私と子どもたちを守るために、私たち家族と離れてじっと我慢して暮らしてきました。私たちは、これからも、家族が離れ離れの生活を続けなければなりません。
しかし、被告である国や東京電力は、原発から30キロの圏内にあるかどうかで線引きをして、私たち区域外避難者を切り捨てようとしています。区域外避難者は、ほとんど補償や賠償を受けられず、経済的にも、避難生活を続けることはとても大変です。区域で線引きをされているために、私たちは世間からも「自主避難者」などと言われ、危険もないのに自分で勝手に避難した人などいうように、間違ったイメージを持たれてしまっています。そのために、私たちは、子どもが学校でいじめに遭うなど、嫌な思いをたくさんしてきました。
しかし、30キロ圏外であれば、放射能の影響がなくなるわけではありません。政府の勝手な線引きによって、私たちの被害が切り捨てられ、世間から見捨てられることはとても納得できることではありません。
5 正直に言うと、私は、4年半前にこの裁判を起こすときに、裁判の原告として参加することにはあまり気が進みませんでした。それまでの人生で、裁判などしたことはありませんでしたし、裁判となれば時間がかかって、精神的にも相当の負担になります。また、裁判を起こしたことが世間の人に知られれば、嫌がらせをされたりする危険もあります。
しかし、私たち被害者が声を上げなければ、世間の人たちに私たちの被害を知ってもらうこともできません。私たちの受けている被害や私たちの辛い思いが切り捨てられてしまう、世間から無いことにされてしまうことはどうしても納得できない、そんな思いから、勇気を振り絞って原告になることを決意したのです。
裁判官の皆さまには、国や東電に対して、正しい判決をお願いしたいと思います。原発事故の被害に遭った私たちが納得できる公平な判決を是非お願いしたいと心から願っています。
どうもありがとうございました。