福島原発被害東京訴訟・第2陣訴訟第2回口頭弁論期日のご報告

去る11月14日、東京地裁で福島原発被害東京訴訟・第2陣訴訟の第2回口頭弁論期日が開かれました。

この日は、原告番号A18-5さんの意見陳述が行われました。彼は、平成23年3月11日には18歳でしたが、あれから7年経ち、今は25歳となりました。

彼の口から語られたのは、原発事故によって人生の進路を翻弄された若者の被害でした。

以下で、その意見陳述の内容をご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1 2011年3月11日に起こった福島第一原子力発電所事故は、7年という月日が経った今もなお、私たち多くの被害者の人生に影響を与え続けています。

今日は、原発事故が変えてしまった私の人生と、私たち家族の現状について、お話をさせてください。

2 私は7年前までは福島県●●市に住んでいました。しかし、原発事故による放射線被ばくのおそれがあったことから、福島を離れ、現在は家族と共に東京で避難生活をしています。

地震直後の情景は今でも鮮明に覚えています。ライフラインは機能せず、お店や道路はめちゃくちゃに壊れ、地元の小学校に避難し夜をしのいだこともありました。

そんな地震の混乱が収まらない中で、衝撃のニュースが流れました。

「福島第一原子力発電所から放射性物質が漏れている」

18歳未満の子ども達を対象に、真っ赤な袋で包装されたヨウ素剤が保健所から配られました。「こんなものを配るなんて、なんだかおかしい。」--そんな風に感じたことを覚えています。

福島第一原子力発電所の事故は連日ニュースで取り上げられ、私も原発の危険性を強く感じました。

原発事故のため、私の両親は当時18歳で高校を卒業したばかりの私や中学を卒業し15歳だった私の妹の健康を心配し、家族で原発から少しでも遠いところへと避難することに決めました。

新潟や関西なども避難先として考えていた中で、両親の友人に被災者の受け入れに関する情報をいただき、東京に避難することとなりました。

東京へ来てからは、区民館の体育館や避難者の受け入れを行ってくださったホテルなどの避難所を転々とした後、原発事故避難者の「みなし仮設住宅」として用意された都営住宅への避難が決まりました。

家具も何もない新しい家で、少しずつ生活を慣らせていく日々でした。

3 当時の私は大学受験生でもありました。

アルバイトをしながら文房具代や参考書代、模試代、予備校の授業費などを貯め、段ボール箱を勉強机の代わりにして受験勉強を行い、ようやくして大学進学の機会を得ました。

その際、大学が実施してくださった被災者免除制度を活用し、私はやっと進学することができました。

念願叶って大学生になった後、私は奨学金を借りながら塾講師、家庭教師、飲食店など3つほどアルバイトを掛け持ちして大学の学費や生活費にあてていました。

両親は原発事故を機に失職をし収入が安定せず、家計を支えるためにも、私は働かなければなりませんでした。

4 ところが、2016年の2月中旬頃、当時私が通っていた大学からある通知が届きました。それは、原発事故など東日本大震災で被災した学生に対し、学費を減免する特別措置を終了する知らせでした。

通知にはこう書いてありました。

「本学では、東日本大震災が発生した平成23年から、被災学生に対して授業料等減免の特別措置を実施してまいりましたが、発災(はっさい)から5年が経過し、国の施策(しさく)や本学の諸事情に鑑(かんが)みまして、今年度をもって特別措置を終了することとなりましたので、お知らせいたします。」「皆様の残りの学生生活が有意義で充実したものとなるよう、心よりお祈り申し上げます。」

私はこの通知を受け、学費の支払いに工面がつかず、2016年3月に大学の中退を余儀なくされました。

5 この大学からの通知から1年後、2017年の3月、追い打ちをかける出来事が起きました。それは 私たち家族が現在住んでいる「みなし仮設住宅」の無償提供を打ち切るというものでした。

一般の都営住宅の入居者として住み続けるためには、申込みが必要であり、「世帯全体の収入が一定以下」という条件が付きました。私には、まだ学生の兄弟がおります。この世帯全体の収入は、たとえ学費を稼ぐためのアルバイト代であったとしても換算されてしまうのです。学ぶことを打ち切られた私と同じ思いを兄弟にはさせたくありません。

私たちは区域外避難者であり、東京電力からの賠償金もわずかしか支払われず、私の家族のように生活に困っている避難世帯が多くあります。原発事故のために故郷を離れることを余儀なくされ、生活を壊されたあげく、避難を続けるために進学を諦めざるを得ない。それが、区域外避難者の実情です。

結局、私たち家族は、家賃の高い民間の賃貸住宅に引っ越すこともできず、都営住宅の入居申し込みもできず、そのまま都営住宅にとどまらざるをえない状態が続いています。

私たち家族にとっては、東京が避難生活の拠点であり、今の自宅が、私たちの大切な家なのです。それにも関わらず、原発事故から避難するための基盤である住宅までも奪われようとしているのです。

私たちは、国などの行政に対して、せめて、みなし仮設住宅の提供を再開・延長するよう求めています、しかし、依然として国などから無視され続けています。私たちは追い詰められています。

7 原発事故にはじまり、激動の日々の中で私は過ごしてきました。その7年の間に一緒に避難してきた祖父は亡くなり、祖母も脳卒中で倒れました。私たちは今後自分たちがどうなるのかについて怯え、振り回されている状況です。

それでも、私たち家族は、今、目の前のやるべきことを行いながら、寄り添い合うようにして力を合わせ、原発事故で破壊された生活を立て直そうと、必死で生きています。

そんな私たちには、夢があります。

早く立派になり、今日に至るまでお世話になった多くの方々に、恩返しをするという夢です。

しかし、積み上げた努力が根元から崩されるようなことがあっては、いつまでも前に進むことができません。

この裁判においては、私たち原発被害者の実情と意見にしっかりと耳を傾けてくださることをお願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<次回の裁判期日について>

この福島原発被害東京訴訟・第2陣訴訟の第3回期日は、来年2月6日(水)午前10時30分から、同じく東京地裁1階の103号法廷で開催される予定です。

是非、傍聴のご支援をお願いします。

 

▽問い合わせ先=〒160-0022 東京都新宿区新宿1丁目19番7号 新花ビル6階 オアシス法律事務所内 福島原発被害首都圏弁護団/電話 03-5363-0138 /FAX 03-5363-0139
メール shutokenbengodan@gmail.com
ブログ http://genpatsu-shutoken.com/blog/
フェイスブック https://www.facebook.com/genpatsuhigai.shutoken.bengodan

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です