区域外避難者をめぐる問題について(4)~公的支援の欠如[義援金]

今回は,区域外避難者に対する公的支援に関して,義援金の問題を取り上げます。

義援金は,災害の初期にかかる被災者の費用を賄うための原資として,被災世帯にとっては重要な意味を持っています。しかし,この分配においても,区域外避難者は,避難区域等からの避難者とは異なる取扱いを受けました。
日本赤十字社に全国から集められた東日本大震災の義援金は,厚生労働省の指導・協力のもと,学識経験者,被災都道県および日本赤十字社,中央共同募金会をはじめとする義援金受付団体を構成メンバーとする義援金配分割合決定委員会によって,配分の基準が決められました。同委員会は,2011年4月8日,第1次分の配分割合の基準を決めました。それによれば,福島原発事故事故による避難指示及び屋内退避の指示を受けた人に対して,住宅が全壊した場合に準じて,1世帯35万円を分配することとなりました。また,福島県の配分委員会は,福島原発事故事故による避難指示または屋内退避の指示を受けた人に対して,県の義援金として,5万円を追加して支払うことにしました。しかし,区域外避難者については,義援金の配分はありませんでした。
そして,第2次分については,2011年6月7日の同委員会で,都道府県に配分方法が委ねられました(福島県では市町村に更に委ねられました。)。しかし,都道府県への送金額を決める基準となる被災者の数に「原発関係避難世帯」が含まれていたものの,これには区域外避難者はカウントされませんでした。そのため,結局,第2次の義援金についても区域外避難者に配分されることはありませんでした。
以上のとおり,区域外避難者は,地震・津波により,住宅が全半壊した場合や死者・行方不明者がいた場合を除けば,義援金を全く受け取ることができなかったのです。
2013年1月までに,日本赤十字社は,15都道府県に対し,東日本大震災の義援金の分配金として,既に総額3602億円余りを送金しています。しかし,区域外避難者には,ほとんど配分されなかったのです。

公害における「起承転結」[「公害原論」(宇井純 著)から]

みなさんは,宇井純さんをご存じでしょうか?
公害・環境問題研究の先駆者であり,第一人者でした。東大の大学院生・助手時代から水俣病の現地調査を行い,国内外で水俣病の問題を告発してきました。大企業や政府の立場ではなく,公害被害者の立場に立って研究活動をしていました。そのためなのか東大では長年にわたり「助手」に据え置かれたままでしたが,後に沖縄大学の教授となり,精力的に沖縄や世界の環境問題に取り組まれていました(2006年死去)。

彼の著作物に「公害原論」というのがあります。これは,1970年10月から東大工学部で夜間の自主講座として市民向けに行った「公害原論」の講義録です。

同書の98~99頁には,次の内容が記載されています(引用の頁は,「新装版 合本 公害原論」)。
「・・・公害には四つの段階があるらしい。それは起承転結である・・・公害というものが発見され,あるいは被害が出る。それに対して原因の究明,因果関係の研究(第一段目)というものが始まりまして,原因がわかる。これが第二段目とします。そうしますと原因がわかっただけで決して公害は解決しない。第三段目に必ず反論が出てまいります。
この反論は,公害を出している側から出ることもある。あるいは,第三者と称する学識経験者から出される場合もあります。いずれにせよ反論は必ず出てまいります。そうして第四段は中和の段階であって,どれが正しいのかさっぱりわからなくなってしまう。これが公害の四段階であります。この順序が昔から漢詩で使われております起承転結の原則と似ておりますので,起承転結の第一法則と私は言っております。ただ結できちんと締らないところが公害の特徴であります。・・・」

今回の原発事故における放射能汚染被害,健康への影響についても同じ展開になっていることを痛感します。

私たちは,原発事故という未曾有の公害とたたかうことになりますので,これまでの常識・法律論などにとらわれない柔軟な新しい発想が必要ではありますが,他方で,過去の公害事件・薬害事件などの経験・教訓を学び,生かしていかなくてはならないと思います。

区域外避難者をめぐる問題について(3)~公的支援の欠如[医療費]

今回は,区域外避難者に対する公的支援に関して,医療費の問題を取り上げます。

避難区域等からの避難者に対しては,原発事故が発生した直後から医療費の負担が猶予され,2014年2月末まで,医療機関における国民健康保険や後期高齢者医療制度の一部負担金の支払いを免除する措置が取られることとなっています。また,介護保険の利用者負担額についても同様の免除の措置があります。これらの保険料についても,同様に免除されてきました。
しかし,区域外避難者については,2011年3月11日に東日本大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律第2条第3項により政令で特定被災区域に指定された市町村に住所を有している者で,東日本大震災によって,自宅が全半壊したり生計維持者が廃業・休業・失職したりする等の一定の被害を受けている場合に限られます。つまり,区域外避難者の場合は,地震・津波の被害に遭った場合を除けば,医療費の免除を受けることがほとんど受けられないのです。

区域外避難者をめぐる問題について(2)~公的支援の欠如[住宅支援]

区域外避難者に対して公的支援は乏しいものでした。今回は,住宅支援についてどうであったかについて述べたいと思います。

住宅支援に関して,福島県全体が災害救助法の適用地域であったため,本来は,福島県から県外に避難した区域外避難者については,「みなし仮設住宅」が提供されることになります。
しかし,多くの自治体で,区域外避難者の応急仮設住宅扱いの住宅への入居が区域内避難者よりも後回しにされていました。
例えば,東京都のケースを挙げます。東京都では,区域内避難者に対しては,2011年4月以降,都営住宅や公務員宿舎を「みなし仮設住宅」として提供してきました。しかし,区域外避難者に対しては,同年4月1日からの「みなし仮設住宅」への入居は原則として認めませんでした。
多くの区域外避難者は,1次避難所から,2次避難所である旧グランドプリンスホテル赤坂(赤坂プリンス)に誘導され,そこで生活するようになりました。しかし,赤坂プリンスも2011年6月30日で閉鎖されてしまいました。2011年7月以降,区域外避難者も「みなし仮設住宅」への入居が認められるようになりましたが,東京都は,赤坂プリンスの閉鎖後の移転先として厚生労働省通知によって避難所扱いとされた旅館・ホテルを勧めていました。そのため引き続き旅館やホテルでの「避難所」生活を続けた人が多かったのです。赤坂プリンスや旅館・ホテルでの生活と聞くと,立派な建物に優雅に過ごしているかのごとく感じる方もいるかもしれません。しかし,実際には,家族で生活するには部屋が狭い上に,台所や子どもを遊ばせるスペースもなく,家財道具などもあまり持ち込めないなど極めて不都合なことばかりでした。例えば,赤坂プリンスでは,乳幼児用のミルクや離乳食が当初なかったり,洗濯機の使用が有料だったりなどしていました。また,電話などのホテル備付けの備品が取り外されていたため,更に不便さは増しました。しかも,管理者である東京都は,面会者が夫などの近親者であっても部屋に入れない,事前に予約をしないと面会ができない等の奇妙な「面会ルール」が一方的に定めました。避難者は,自由を制限され,心身ともに疲れ果てていくことになりました。
また,みなし仮設住宅に入居すると日本赤十字社から避難者に生活家電セット(洗濯機,冷蔵庫,テレビ,炊飯器,電子レンジ,電気ポットの6点)が贈られましたが,ホテル・旅館に滞在している避難者は「仮設住宅ではない」という理由で家電セットの支援を受けることができませんでした。
このように避難所や旅館・ホテルでの避難生活は,不安定で窮屈なものでした。そして,区域外避難者は,長期間にわたり,こうした生活を長期間強いられることになったのです。

また,福島県内に避難した区域外避難者(例えば,福島・郡山・いわきなどから,会津への避難など)は,福島県の政策によって,2012年11月まで住宅支援を全く受けられない状態が続いていました。2012年11月以降に制度が若干変わり,一定の条件を満たせば,入居している賃貸住宅を「みなし仮設住宅」にすることができるようになりましたが,条件を満たす住宅に入居していた区域外避難者が少なかったため,住宅支援を受けられる者は極めて限られてしまいました。そのため,福島県内では,多くの区域外避難者が住宅支援を受けずに,全くの自費で避難を続けているのです。

続きは後日述べたいと思います。

区域外避難者をめぐる問題について(1)

「区域外避難者」とは,政府による避難等の指示または指定を受けなかった地域(以下,「区域外」といいます。)から,原発事故によって放出された放射性物質による被ばくから逃れようと,避難した住民のことをいいます。

行政やマスコミは,「自主避難者」または「自主的避難者」などと呼んでいます。しかし,放射線による被ばくの影響を避けるため,やむを得ず避難しているのですから,原発事故によって避難を余儀なくされたという意味では区域内避難者(避難等の指示等を受けた地域からの避難者)と異なるところはありません。当たり前のことですが,区域外にも放射能汚染は広がっていますし,ホットスポットも多数あります。決して,「自主」的に避難したのではありません。この言葉に傷ついたという避難者の声を多く聞きます。(「区域外避難者」の支援等を行なう人の中にも「自主避難者」などという人がいますが,極めて残念なことです。)

誰でも,放射能汚染の危険にさらされない権利があります(憲法22条1項,13条)
誰でも,放射能汚染・被曝に関する情報の公開を求める権利があります(憲法21条1項,13条)
誰でも,不自由なく避難生活を送る権利があります(憲法13条)

また,「国内強制移動に関する指導原則」の序の2によると,
「国内避難民」とは,「特に武力紛争,一般化した暴力の状況,人権侵害もしくは自然もしくは人為的災害の影響の結果として,またはこれらの影響を避けるため,自らの住居もしくは常居所地から逃れもしくは離れることを強いられまたは余儀なくされた者またはこれらの者の集団であって,国際的に承認された国境を越えていないものをいう。」とされています。
そして,同原則3-1「国家当局は,その管轄内にある国内避難民に対して保護および人道的援助を与える第一義的な義務および責任を負う。」(原則3-1)とし,
同原則3-2「国内避難民は,国家当局に対して保護および人道的援助を要請し,かつ,国家当局からこれらを受ける権利を有する。」(原則3-2)としています。

このように,区域内外を問わず,避難する権利は,憲法上当然の権利であり,国際的にも要請されるところです。

しかし,実際には,区域外避難者は,「避難者」として扱われず,過酷な状況に追い込まれています。具体的な問題は,次回に述べたいと思います。

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原発事故子ども被災者支援法の問題点(1)〜支援対象地域について

原発事故子ども被災者支援法(以下「支援法」)が昨年成立しました。しかし,依然として基本方針すら定まっていません。そもそも,この支援法自体に問題点が内包されています。以下,当弁護団の共同代表である森川清弁護士に支援法の問題点について解説してもらいました。

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支援法の支援対象地域は、いつ定められるのだろうか?
また、定めた支援対象地域は、その後、簡単に変更・廃止されないのだろうか?
実は、支援法には、「支援対象地域」の定義は括弧書きで記載されているものの、支援対象地域を定める時期や手続や形式についての記載がありません。

そうすると、復興庁水野参事官が国会議員の皆さんに対し「法律をちゃんと読んでいただきたい。政府はこれこれにつき必要な措置を講ずる。何が必要かは政府が決めるんです。そういう法律になっているんです。」と述べたように、政府がなんらかの方法で支援対象地域を決めさえすればいいことになります。支援対象地域の廃止も同様です。不意打ち的な対応がとられることもありえます。(*1)

たとえば、支援対象地域を明文で「福島県内の全市町村及び政令で定めた市町村とする」「支援対象地域を政令で定めるための基準は、・・・のほか内閣府令で定める」などと規定しておけば、国会で法改正しない限り、「福島県内の全市町村」は支援対象地域で在り続けるわけです。また、政令や府省令を定めるにあたっては、行政手続法に基づくパブリックコメント制度(パブコメ)による意見を考慮しなければならないこととなっていますから、その他の地域を定めるにあたってパブコメによる意見提出の機会があり、不意打ちもしにくくなります。

意見の反映として、支援法14条に「国は、第八条から前条までの施策の適正な実施に資するため、当該施策の具体的な内容に被災者の意見を反映し、当該内容を定める過程を被災者にとって透明性の高いものとするために必要な措置を講ずるものとする。」と規定されていますが、意見反映のために何が必要かも政府が決める建付けになっていて、政令・府省令のようにパブコメが義務付けられているわけではありません。
また、厳密にいえば、支援対象地域の設定について何らの規定がないので、支援法14条の規定の対象となっていないともいえます。意見考慮の要請が強いはずのところに、全くそのようなものが明文で盛り込まれていないのです。

ですから、法律上は、容易に支援対象地域の廃止もできるわけです。
政令で定めた支援対象地域を廃止するには、政令・府省令の改正をしなければならなくなりますから、当然パブコメが義務付けられることとなります。
しかし、それがないわけですから、支援対象地域について、政府を法的に拘束するものはないので、政府が必要だと判断すればいいこととなります。
支援対象地域を定める時期や手続や形式について明文化することはとても大事です。今回の決定だけでなく、その後の改廃まで関わりますので、今からでも遅くありません。支援対象地域を定める時期や手続や形式を明文化すべきです。

*1 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1556
5分くらいのところで、引用の水野参事官の文言が登場します。

 

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原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の不当な対応事例

原発賠償問題に関しては,迅速に解決することを目的に,2011年9月に原子力紛争解決センター(俗に「原発ADR」)が設置されたことはご存じかと思います。
しかし,設置当初から,裁定機能がないことや時効中断効がないことが問題点であることが指摘されました。このことについては,後日述べたいと思います。
また,迅速な解決を標榜していましたが,審理期間がかかっていることが指摘されています。

実際に,当弁護団において,昨年3月に紛争解決センターに申し立てた事例がありますが,その対応が極めて問題なので紹介します。
今回3月11日に提訴した原告の方のケースです。

[経過]
●2012年 3月27日 原子力損害賠償紛争解決センター申立
●2012年 4月27日 仲介委員,担当調査官が決まったとの通知
●その後,補充書面の提出と領収書などの提出し,東電からも書面が出ました。
●2012年10月頃   担当調査官の交代
●2012年10月24日 調査官から電話で連絡
その際のやりとりは,
 調査官「口頭審理は不要と考えている。文書で仲介案を出す。」
 弁護団「慰謝料その他争いがあるので、是非、本人から直接話を聞いてほしい。再考して欲しい。」
 調査官「仲介委員に伝えて検討する。」
(しばらくして電話かかってくる)
 調査官「やはり、口頭審理は不要と判断した。慰謝料が中間指針追補を超えると主張するのであれば書面で提出すること。」
 弁護団「納得できない。再考の余地はないのか?」
 調査官「決定事項である。」

●その後,補充書面提出を提出しました。

●2013年1月31日 電話連絡
・来月(明日)から担当調査官が交代する。
・ただ、新たな調査官の名前は知らない
・事件が多く、仲介案提示の処理が追いつかないので、もう少し待って欲しい。
・ただ、いつ提示できるかは明言できない。
というものでした。
●本日現在,未だに仲介案は出ていない。

つまり,1年以上の間,調査官が交代して3人目となり,期日も開こうとせず,判断すら出そうとしないというものです。一体,何のために作られたのかと憤りを感じます。